第2章 気付いてしまった心情

第9話 私なんて片方も付いてないのよ?

「……んっ」

「おお、ようやく目が覚めたか、サキタラシ」


 サキタラシがうっすらと目を開けた先には曇りなき青空が広がっていた。


 あれ? 

 ということは地面に寝ている状態で……この後頭部に当たる柔らかな感触は何だろうか?


「ボーとしてどうした? まだ気分が優れぬか?」

「おわっ!? ヒミコ!?」


 大きな木の影で、眼前から僕を見下ろしてくる朝顔の上品な着物姿であるヒミコから逃げるようにその場を離れる。


 そうか、理由は定かではないが、僕は気を失って、こうやってヒミコにひざまくらで看病されていたのか。

 だけど、女性に免疫がない僕にとってはひざまくらは刺激が強すぎる。


 サキタラシは着ていたぼろ切れのような麻の服についた埃をはたいて状況を整理することにした。


「ここはどこなんだ?」

「ヤマタイコク随一の広さを誇るクレナイオオソウゲンよ」

「草原ねえ……」


 辺り一面に足のくるぶしまでの短い草が生い茂った広場を見渡し、深呼吸をしてリラックスした僕はヒミコの隣に腰かける。


 地面には麻の布で作った色柄の敷物が敷いていて、その上に大きな器に入った重箱の弁当箱が所狭しと並べられている。


「私が馬を操る移動中に後ろに乗っていたお主が突然倒れてね。すぐさまここに下りて、色々と手当てをしてたら、お腹が空いての……まあ、今日はこの草原の散策みたいなもんだし」

「そうやって僕を差し置いて、一人で昼食をしていたのか……」

「まあ、そういうことになるな」


 ヒミコが大きな円状の銅の手鏡を裏側に持ち変え、料理やおにぎりを箸で取り分けながら、子供のように目を輝かせる。


「おい、その鏡、商売道具なんだろ。そんな使い道をしていたら汚れるぞ」

「大丈夫よ。塩水で水洗いしても錆びない構造なんだから」

「……どういう屁理屈だよ」


 ヒミコの手荒い道具の扱いは今に始まったことじゃないが……。


「それにその弁当は今日の散策に向け、僕が早起きして作ったものなのに許可なく食べるとは何事だ」

「じゃあ今から許可をとってくれないか……モグモグ」

「……分かったから、食うか喋るかどっちかにしてくれ」

「じゃあ、食べる前提にて。いただきまーす♪」


 ヒミコが料理が載せてある鏡に箸を伸ばし、肉汁たっぷりのハンバーグを食す。


「うーん。これも美味しいわねー」


 目を瞑りながら幸せそうに料理を頬張るヒミコ。

 ヒミコの見た目は絶世の美女みたいな顔立ちだが、好みの物を口にした時は精神年齢がグンと下がるのだ。


「ヒミコ、ここに来て何か進展はあったのか?」

「何の目的も無しでこのような場所には来ないだろうし……」


 サキタラシはヒミコに当たり障りのない程度で用件のみを聞いてみる。


「うーん、相変わらず村の統制は難しいということかしら」

「お偉いさんも大変だな」

「何よ、他人事ひとごとも知らずによくそんな口が聞けるわね」


 集まった村人の多数決で決まった次期村長の相手がヒミコであったせいか、彼女はいささか不満げに頬を膨らませていた。


 その気分転換として、こういう休みの合間をぬって色々な所に旅をして気分を癒すヒミコ。

 責任感の強い彼女にとって村長という役柄は思ったより大変そうだ。


「ヒミコ様ー‼」


 僕たちが昼食を摂りながらくつろいでいる最中に、別の馬から降り立った見知った一人の若い村人がこちらに顔を見せてくる。

 村での顔馴染みの男でもあり、確かヒミコの家来だったな。


「全く君は失礼極まりないな。私は村長でもあるし、太陽の巫女のような存在であるぞ。平民ごときが気安く声をかけるではない!」


 ヒミコが自身の太陽の巫女を強調させるため、手鏡に当たった太陽の光を村人に当てると、村人はその眩しさのあまりに頭を地面に下げる。

 いや、立場上、下げるしかないのだ。


「はっ。ですが、ヒミコ様。これはとても大切な話でして……」

「何だ、申してみよ」

「実は近いうちにエンマ大王殿が来て、抜き打ち調査をやると」

「それは抜き打ちとは言わぬだろう」

「すみません。何ぶん賊の侵入を警戒しており、先ほど分かった秘密裏の情報でして……」


 わざわざ地獄の門番でもあるエンマ大王があんな辺鄙へんぴな村に来て、何をする気なんだろうか。


 地獄? 

 待てよ。

 ……ということはここは天国という場所なのか?

 でも死んだという実感が今いちわかない……。


 ──村人がヒミコに一瞥をして村のある方向へ戻るのを見届け、ヒミコは手鏡を布のシートの上にそっと置く。


「サキタラシは良いわよね。立派な勲章が付いているから」


 ヒミコが僕の背中を優しくさすってくると、その柔らかい手触りに心臓がはち切れそうになる。


「勲章って何のことだよ? そんな大層のあるものは身に付けていないんだが?」

「何、寝ぼけてんのよ!」

『パーン‼』


 ヒミコがサキタラシの背中を叩くとナニワハリセンで叩いたみたいな大きな音がした。


「お主ほどの立派なの持ち主が下らない謙遜なんかしちゃってさ。私なんて片方も付いてないのよ?」


 羽が付いてるとか無いとか、どこかで聞き覚えのある『羽あり』という台詞。

 そのヒミコによる自然体に振る舞う発言にサキタラシの心がざわめいた。


「全くどんなに頑張っても羽ありの反応はないし、一体どういう仕組みになってるのかしら……」

「だからといってあのいかついエンマ大王に直接には聞きづらいし……」


 確かに地獄の門番だけあり、怖そうなイメージはあるな。


「ヒミコ、だったら僕が聞いてきてあげるよ。実際に顔を見合わせる立場だし」

「……サキタラシ、それ本当かしら?」

「……まあな。ヒミコにはさっきの事故でよくしてもらったし、ここで恩を返しておきたいんだ」 

「ありがとう。じゃあ、お願いするわね」 


 ヒミコがこの上ない上機嫌で僕に微笑み返す。  


「では風も出てきたし、帰ることにするかの」


 爽やかな風が吹き抜ける際、ヒミコが立ち上がり、空になった重箱を片付け始める。

 ほとんどの中身を食べたのはヒミコだったが、女性一人に片付けをやらすのも気が引けるし、何より重箱は僕の私物でもある。


「ヒミコ、僕も手を貸すよ。二人でやった方が早いだろ」

「ありがとう」


 サキタラシもヒミコに続き、一緒になって後片付けを手伝った。

 エンマ大王の名前を耳にし、背中から発する謎の違和感を感じ取りながら……。


 

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