第5話 さっきから羽ありって何だよ

 僕は人気のない路地裏をひたすら走っていた。

 先には見知った栗色の髪が走りに合わせ、よく実った稲穂のように左右に揺れている。


此処伊羅ここいらさん、どこまで行くのさ!」


 こんな照明のない暗がりの商店街を装う現状は怪しい雰囲気を彷彿ほうふつさせる。

 こういう場所で女性たちが異性に鉢合わせして暴行でもされたらと思うと心の中のざわめきが止まらない。


 自慢じゃないが、僕は喧嘩にはめっぽうに弱い。

 とてもじゃないが此処伊羅さんがトラブルに巻き込まれたらどうしようもない。


 不安要素な負の感情が気が気でない哲磨はずれ落ちる眼鏡を押さえながら、此処伊羅の後をつけていく。


(あー、コイツ、鬱陶うっとうしいだけだな。スマホみたいに折り畳んでポケットに入ったらな……)


 マジでこんな時の眼鏡は邪魔になるな。

 でもコンタクトは目に直接レンズを入れるのに恐怖を感じるし、目に余計な負担もかけるとクラスメイトが喋っていた教室での雑談を思い出す。


 ちなみに小さく折り畳めるスマホの詳細だが、確かに本体を縦や横に小さく収納できるのだが、普通のスマホより値段は割り高である。


「おっと、そんなことを考えている暇はない。今の優先度は彼女を連れ戻すのが先だろ!」


 哲磨てつまは自身に喝を入れて、足取りを速くした瞬間、彼の頬に冷たい物が落ちた。


 小粒だった雫は本降りとなり、『ザー!』と激しい雨が天から降り注ぐ中、それでも歩みを止めない此処伊羅の存在がいささか不安になってくる。

 季節はまだ春先なんだ、こんなに雨に打たれたらそれこそ風邪を引きかねない。


「此処伊羅さん、とりあえず近くの商店街の軒先で雨宿りしようよ。風邪でもこじらせたら大変だよ!!」

「……」


 此処伊羅が哲磨の問いかけにも応じずに商店街の角から見えなくなる。

 どうやら進路方向を変え、左の角を曲がったようだ。


「此処伊羅さん!」


 哲磨もはやる気持ちを心の奥にしまいながら、此処伊羅が曲がった先へ曲がる。


『ゴンッ!』

「ぐっ!?」


 此処伊羅に続いた曲がり角を差しかかると後頭部に感じ取った角張った感触。


「はい、一名様確保と」

「お……お前……何をするんだよ」


 一人の大柄で体格の良い半袖シャツのおじさん。

 おじさんの手には一本の角材が握られていた。


「いやあ、すまん。この先は土木工事中なんでな。ちょっと手が滑っただけだよ」


 手が滑ったというより、完全にそれで殴られた感じだったが……。


「む……無念なり……」


 足下がふらつき、何も考えられない僕はそのまま雨水の流れる道端にぶっ倒れる。


 不思議と痛みはなく、空白の世界を泳いでいるフワフワとした状態。

 恐らくこの角材の打ち所が悪くて脳震盪でも起こしたのだろう。


(マズイな……此処伊羅さんを完全に見失うなんて……)


 路上に転がった眼鏡が届かず仕舞いだったが、僕はまどろむ意識の中で彼女の安否だけが気になっていた……。


****


「はっ!?」


 僕の意識が暗闇の世界で不意に覚醒する。 


「ここは……どこなんだ?」 


 着ている服は雨に濡れて湿っているのは納得だが、この場所が知らない屋内だからか、無性に焦ってしまう。


 あの角材での怪我だけで他に外傷がないとか、落とした眼鏡をかけているのも不自然だし、何もかもがおかし過ぎる。

 相手は僕の命には興味はないのか?


 僕は落ち着いて深呼吸をし、首だけで周りを見渡す。

 照明の類いが一切なく、6畳による空間に錆びついたトタン屋根となる木造の建造物。


 辺りには書類の入った段ポールに、草刈りがまなどの園芸用品、古びて色が褪せたタイヤの山など……ここはいらない物を収納しておく、プレハブ小屋の倉庫か?


 僕は無条件で与えられた情報を把握するのに精一杯だった。


「おやおや、ようやく気づいたようだねえ。おはよう少年」

「おはようじゃない‼ これは何の真似だよ!?」


 哲磨が叫ぶのも無理はない。

 手足はロープで縛られていて、自分から動くには床を這うことしかできないからだ。


 哲磨の目先には大人な女性がいて、手には電池式のランタンを持ち、暗い部屋の周りを照らしている。

 闇の中で照らされた女性は絵に描いたような美少女で哲磨の芋虫の動きを見て、小さい受け口を緩ませていた。


「あっ、そうそう、自己紹介がまだだったね。私の名前はしずくよ。よろしくね、プレイボーイさん」

「そんなことはいいから、黙ってこの縄を解け。僕は此処伊羅さんを探さないといけないんだ!」

「ああ、彼女、やっぱり此処伊羅の娘だったんだ。妹のフリをして呼び寄せたかいがあったわ」


 しずくがケタケタと笑いながら、僕の前に黒い寝袋を持ってくる。

 こっちは真面目な話をしているのに、この女性は何がそんなにおかしいんだ?


「彼氏か保護者面か知らないけど、彼女に会いたいんでしょ? この中にいるわよ」


 しずくが丸々と肥えた寝袋のジッパーを開ける。

 中には苦痛の吐息を吐きながら、目が虚ろな此処伊羅の姿があった。


「此処伊羅!」

「うーん、惜しかったんだけど、この子は羽無しだったわ。この美貌からしてほっとく男はいないと思っていたのにねえ」


 しずくがやれやれと呟き、首を交互に振る。


「はあ、中々羽ありとは出会えないものね。でも少年は逸材だったわよ」

「だからと言って僕と此処伊羅にこんな仕打ちをして。ただで済むと思うなよ!」


 食い込む縄に顔をしかめ、しずくに怒りを向ける哲磨。


 僕にはしずくの考えが理解できなかった。

 だから考えられる戦法はここに第三者を呼び込むことだ。


『おーい、哲磨ー‼ ここに居るのかー!!』


 部屋の外からテルが叫ぶ声が響き渡り、ポケットのアイテムに確証させられる僕。


 ふっ、こんな時のためにスマホのGPS機能があるんだ。

 例え遭難したとしても、これを持っていたら居場所は特定できる。


 これはこれで便利な時代になったものだ。

 言い分が多少ジジクサイけどな。


「さあ、これで逃げられないぜ、しずく。犯罪者はここでチェックメイトだ!」

「フフフ……アハハハハッ!」


 気が狂ったように笑うしずくの言動に、僕はまたもや不可思議な空間に迷い込んだ気がした。


「アハハ。何も分かってないのは少年の方よ。まあいいわ。近年稀に見ない羽ありなんだもの。じっくりと面倒を見てあげるわ」

「さっきから羽ありって何だよ。俺は虫でも餃子でもないぞ!!」

「アハハハハッ。しかも面白い少年と来たものだわ。こりゃ退屈な暮らしじゃなくなりそうね」

「何でだよ、こんな狭苦しい空間で暮らせるかよ‼」

「フフッ。心配しないで。ここは少年を呼び寄せるための小屋。住む場所はここじゃないから」


 しずくが僕の肩に優しく手を置いたと同時に僕の意識はそこでプツリと消えて無くなった……。






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