第6話 こういう物は大切に扱わないと
『……チュンチュン』
「……んっ?」
小鳥のさえずりで脳内が覚醒して、さっきまでの世界ががらりと一変する。
自室の勉強机の上で突っ伏していたからに、どうやら僕は勉強中に寝入ってしまったらしい……。
『ギッ……』というスプリングの音がする椅子の背もたれに体重をかけながらその場で大きく伸びをする。
するとタオルケットのような物が体にかかっていたらしく、背中からそれが絨毯の上に滑り落ちる。
我が家にはこのような白い犬のイラストが描かれたファンシーな黄色いタオルケットはないし、僕自身買い揃えた覚えもない。
恐らく
──僕の家の両親は海外勤務であり、この家では実質は一人だ。
何かトラブルが多いこの社会、そんなことがあった時のために深裕紀には合鍵を渡してあるからな。
まあ、この前なんて入浴が終わって上半身裸で部屋の前の廊下を
『キャー!』と大声を張り上げて、顔を手で覆う深裕紀から逃げるように自室に行き、慌てて服を着たことは覚えていて、いつでも助け合いが出来る分、プライベートは筒抜けなんだなと正直に思う。
ふと壁時計の時間を見ると、朝の7時。
登校時間の8時にはまだ時間はある。
僕は椅子から飛び降りて、目先にあるフカフカの布団へとダイブした。
「さて、それではギリギリまで本能を満たすとするか」
「本能ならお腹を満たしてから言ってよね」
「おわあ!?」
聞き慣れた女の子の声に驚き、口から臓物が飛び出しそうになる。
この場合、心臓という表現の方が正しいのだろうか。
「深裕紀、お前、まだ居たのかよ!?」
「ちょっと人聞きが悪いわね。深裕紀は
「ああ、昨日中々熟睡できなくて。お陰で 寝起きがこの有り様さ」
「そりゃ、机の上なんかで熟睡できたら苦労はしないわよ」
チューリップの花柄が付いたピンクのエプロンを着用した深裕紀が頬を可愛らしく含ませ、俺を作りたての餌から手離すまいと蛇のように睨む。
「さあ、早く下りてきてよ。朝ご飯が冷めるからって……どうしたの?」
「いや、今日もプロレス技を仕掛けてくるのかと……」
「あのねえ、今日もとは何よ? 深裕紀がそんなはしたないことをする子だと思ってるの?」
「うん、思ってる」
「そっか。もう哲磨はご飯いらないか」
「ああー、すっ、すまん。つい悪ふざけが過ぎた!」
人間の欲求による食事という行為を奪われようとした哲磨は慌てて釈明を求める。
悠長に着替えている彼にはエネルギーがなく、お腹は空腹を訴えていた……。
****
カチャカチャとナイフとフォークで食器を鳴らしながら丸皿に載っている目玉焼きを乱雑に切る哲磨。
「なあ、ちょっといいか?」
「なに?」
「普通に箸で食わせてくれよ。これじゃあ非常に食べづらいし、時間もかかる」
「何言ってるの? 今のうちにテーブルマナーを身に付けていないと後々後悔するわよ……。えっと……例えば結婚式とか?」
深裕紀がしどろもどろな口調になりながら、目玉焼きの横のウィンナーを細かく切り刻む。
そんなに細かくしないと歯で噛めないとか、どんだけお婆ちゃんなんですかね。
「それよりも哲磨。昨日寝ている部屋の片隅にこんな物が落ちていて、無くさないよう、肌身離さず、ずっと持っていたんだけど」
深裕紀が金メッキで装飾された一本の丸形のロケットペンダントを僕の前に見せる。
「女の子からのプレゼントか何か知らないけど、こういう物は大切に扱わないと」
「あっ、わざわざ悪いな。ありがとう」
僕は深裕紀からペンダントを受け取り、思うままに疑問点をぶつける。
「なあ、このペンダントの名入れに収めてある写真は見たのか?」
「うーん。見るも何もそのペンダントの名前入れはどうやっても開かないし。裏に哲磨の名前が刻んでいたから分かっただけから」
「なるほどな」
僕は深裕紀の言い分に納得しながらペンダントの先にぶら下がった名入れの裏を見る。
裏にはT・Aという俺の名前によるイニシャルが彫ってあるだけ。
これだけの情報で持ち主が予想出来るなんて深裕紀は中々のキレ者だな。
でも、僕のだと言う保証はあるのか?
「深裕紀、お前は頭脳明晰だから、将来は良い大学に入って大いなる青春を謳歌するんだぞ」
「はあ? 哲磨、何か悪いものでも拾い食いしたの?」
「あのなあ、今どき宿なしでもネットカフェとかで真っ当な食事にありつける時代だぞ……」
それよりもこのペンダントの中身が開かないと言っていたな。
華奢な女の子の力だったからだろうか。
喧嘩は弱くても俺も男の端くれだ。
男の握力をなめんなよ!
「ぬおおおおー‼ 開けゴマダレ!」
僕は幼少時代に教わった父親の尊い言葉を思い出し、指先に全神経を集中させる。
「がああああー!」
いくら気合いを入れてもがなり立てても、一向に開く気配がないペンダント。
人間の集中力は二時間程度というが、早くも僕の集中力は切れそうだった。
「何で開かないんだ? 接着剤でも塗りたくっているのか?」
「やっぱり哲磨でも開かないんだ。持ち帰った時に頼んだ深裕紀のお父さんの力でも駄目だったもんね」
「それを早く言えよ!」
柔道家の深裕紀のお父さんでも無理なら俺なんかの力じゃ無謀に決まってるだろ。
『ピンポーン!』
そこへ、この非常時に呑気に鳴る空気の読めないチャイム音。
「あっ、あまりにも遅いから
仲良しの友達の名を述べ、深裕紀が学生鞄を持って飛び出そうとした時、俺の前で立ち止まる。
「ねえ、どうせなら哲磨も一緒に乗っていかない? このままだと遅刻はしなくてもギリギリの登校だよ」
「何言ってんだ。密室空間で野郎が入っていいスペースとかないだろ」
「大丈夫、車内は広いし、それに哲磨はそんなことするような人じゃないと思うから」
お前、僕を買い被り過ぎだろ。
まあ、たまには異性の
ここは深裕紀のお言葉に甘えさせてもらうか。
俺も深裕紀の後ろを追うように玄関を飛び出すと家の前に黒塗りのリムジンが停車していた。
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