第3話 おかしな夢くらい誰でも見る

「失礼いたします、サキタラシ殿」


 いつものように土器の中に入った木の実をすり鉢棒で擦り潰してる所に若い男の声がかかる。


 サキタラシと呼ばれたガッシリとした体格で灰色なロン毛のイケている優男。

 年相応な大人で落ち着いた態度の彼はぼろ切れの麻の服を着ており、吹き抜けの天井の下にて何かの作業に熱心だった。


 家には窓も電灯も付いてなく、ドアで仕切られてもいない。

 無造作で吹きさらしの出入り口から拝見するからに、周囲はのどかな集落で、わらぶき屋根の家が数件あり、少し離れた場所では馬車が何台か停めてあって、いかにも田舎の農村という感じである。


「何だ? 今は夕飯の仕込みで手が離せないくらいに慌ただしい状況なんだが?」

「いえ、その……例のお相手がどうしてもサキタラシ殿に会いたいと申しておりまして」

「はあ……今宵はもう夕刻だぞ。全くあいつはいつも何を考えているんだか……」


 また、あいつか。

 日々の職務で忙しいだろうに、明日に向けて体を休めていればいいものを。


「まあいい。ここに連れてきてくれ」

「はい、かしこまりました」


 若い男がサキタラシに一礼をしながらこの場を去り、代わりにこの世の生物とは思えない美貌とスタイル抜群な大人の女性を連れてくる。

 女性は職務で使用する大きな丸い銅の手鏡をわきに抱え、その美しい顔と黒く長いみつあみにも負けずに、綺麗な朝顔の描かれた上品な紫の着物を着ていた。


 その女性はサキタラシと目が合った瞬間に母性のように包み込む笑顔を見せてきた。


「フフッ。今日も時間に追われてるようだから私から会いに来てやったぞ。この私の優しい心遣いにそなたも感謝するといい」

「用件はそれだけか? じゃあとっと帰れ。僕はこの通り忙しい」

「何? また山菜と木ノ実のカレー? 相変わらずレパートリー少ないのね」

「いや、カレーをなめてかかるなよ。スパイスが沢山入っていて体にもいい食材なんだぞ」


 サキタラシはブツブツと文句を言いながら、たき火に載せていた大きな土鍋に具材を投入し、木のバケツに汲んでいた水をお椀ですくって土鍋に入れ、食材をコトコトと煮込む。


「それはそうとサキタラシよ。ちょっとだけ時間はあるか?」

「何だ、ヒミコ。僕はこの通りアク取りで手が離せない。用件なら手短にな」


 土器の水が沸騰したのを確認し、山菜から滲み出たアクを木製のお玉で取り除くサキタラシ。


「あのな。明日はいい天気みたいだし、私と村の外にある草原に出かけぬか?」

「えっ? 草刈りするほどあそこの草原、雑草が生えてたっけ?」


 サキタラシの何気ない発言にヒミコがみるみる不機嫌な顔になっていく。


「そなたはどんだけ鈍いのだ! 私と折角せっかくのデートで仲良く草むしりとかありえないだろう!」


 それまでおしとやかな口調だったヒミコが顔色を変え、いきなり罵倒しながらサキタラシに懸命に訴えてくる。 


 太陽に照らされ、お互いに言葉を交わしながら健康的なデートを楽しむ。

 そんなお金を使わないプランも悪くはないと思うサキタラシ。


「とにかく明日は予定を開けとくのだ。この前みたく、腹痛で来れなかったら許さないからな。今度は枕元に恨んで出るぞ」

「ああ、分かってるって」


 友人から美味しいドングリの木ノ実をお裾分けしてくれ、ハンバーグとして調理した翌日、凄まじい腹痛に襲われるとは……。

 やむ無く前回のデートをすっぽかしたことをヒミコはまだ根に持っているようだ。


「じゃあ、話は終わったか? 後は良いよな。ここからはカレーのスパイシーな味付けがあるからさ」

「いんや、まだ話があっての……」


 ヒミコが手を擦り合わせ、モジモジと前屈みになりながら、申し訳なく低い態度をとる。


「何だよ、この燃えるお兄さんに遠慮なく話してみろよ」

「……えっと、非常に言いにくいのだが、私もそのカレーにお呼ばれしてもいいか?」

「ほんとお前さん、どさくさに紛れて、図々しいヤツだよな!!」


 もしやデートはついでで、このカレーを食しに来たのが本来の目的じゃないのか?

 こんな夕刻に来てデートの申し込みなんてするからにおかしいと感じていただけに……。


****


「──おーい、哲磨てつま?」

「自称女に困っていないとはいえ、女っ気が全くないモテない男のリーダーでもある哲磨くーん?」


『ゴチン!』

「ふがっ!?」


 夕焼けが窓から降り注ぐ教室にて、僕は目の前の標的に会心の拳骨を食らわす。


「……悪かったな非リア充で」

「イテテ。何だ、狸寝入りかよ? 起きてるなら返事くらいしろよな」

「いや、さっきまでものの見事に爆睡してた。もう放課後か?」

「ああ、放課後どころか、もう日も暮れつつあるぜ。起きそうにも起きないからスルーして部活帰りに教室に寄ったら、まだお前が机の上で死んだように寝入っていてさ」


 このなめたことを言う茶髪のウルフカットをした背の高い(180は越えている)イケメンは西條架輝市朗さいじょうかてるいちろう

 本人は親が名付けてくれた輝市朗てるいちろうという素敵な名前を嫌っており、基本、仲の良い友達はテルというあだ名で呼んでいる。


 そのテルが俺の顔をマジマジと見ながら、座席の横にかけてあった学生鞄を手に取ろうとするが、急に腕を引っ込めて思いとどまる。


「お前、大丈夫か? 最近暇さえあれば寝てばかりだけど? 頑張っていい大学に進学希望なんだろ?」

「それとも自宅で夜中過ぎまで勉強し過ぎた反動による、こんの詰めすぎか?」


 テルが心配そうに俺を気遣うのが親身に伝わってくる。


「……昨日、パンケーキで腹を壊してから学校を休んでからかな。あれから何か体調が悪いんだ」

「だったら無理せずに保健室で休んでれば良かったのにさ。先に帰った橋ノ本(はしのもと)も心底心配してたぜ? じゃあ俺は帰るからな」


 そうか、深裕紀みゆきはもう下校したのか。


「……なあ、テル」


 僕は手慣れた手つきで眼鏡をかけ、机に下げていた黒皮の学生鞄を手に取ったテルを呼び止める。


「何だよ、俺はこれから女の子とのデートがあるんだが?」

「なあ、テル。サキタラシっていう名前に心当たりはないか?」

「はあ? 何の危ない薬品を垂らしてんだよ? それ本当に名前なのか?」


 テルが『コイツ脳ミソマジでイカれてる系』な顔つきで僕の顔をまじまじと見る。


「いいや、最近変な夢ばかり見てさ、どうにもやるせなくて……」

「まあ、そう気に病むなよ。人間は寝ている時に頭の中で膨大な情報を整理してんだ。ちぐはぐでおかしな夢くらい誰でも見るもんだぜ」

「……ってやべー、デートの時間に遅れたら、相手が機嫌を損ねちまう。じゃあな!」


 テルは上手いことはぐらかしながら教室を大慌てで抜けていった。

 さて、僕もボチボチ帰るとするか。


 ──ここは永野ながの県市内にある三階建ての二棟からなる、永野県文化学園永野高校。

 男女共学で普通科と通信制があり、中学と一体化したエスカレーター式の名門校である。


 また、県内の並みいる高校の中では一番偏差値が高く、この街では屈指の進学校でもあり、ここからハードルが高い東大を目指している者も多数いて、それを目標として学業や部活に励む者も少なくはない。

 まあ、レベルの高いぶん、在校生も少な目だが……。


「──あら、安良川あらかわ君? こんな時間なのにまだ校内に居たのですか? 下校時間はとっくに過ぎていますよ?」


 哲磨が寝ぼけた頭で廊下を抜ける最中、左腕に青い道路標識のようなワッペンを付け、

赤いリボンの同学年でもある此処伊羅紫四花ここいらしよかがご丁寧に声をかけてきた。


 気品が漂い、おっとりとした対応に男心をくすぐる手入れされた栗色のツインテール。

 文武両道な彼女は僕の肩くらいの165くらいの身長で風紀委員でもある。


「しょうがないですね。もう外は暗くて危ないですし、わたくしも今から帰りですから、わたくしの執事の車で安良川君の家までお送りましょう」

「ありがとう、此処伊羅さん」

「礼には及びませんわ。最近は物騒な世の中ですし、橋ノ本さんの大切なご友人に何かあったら大事おおごとですし」


 此処伊羅と下駄箱で靴を履き替えて外に出ると冷たい秋風が身に染みる。

『そろそろ本腰を入れて、秋物と冬物の服の整理をしないとな……』と思った哲磨の前に此処伊羅の執事が運転している黒塗りのリムジンが正門前に停まっていた。


 



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