第2話 僕の唯一の生き甲斐が……。

『てつま!』

『てつーまー!』


 遠き彼方から僕の名前を連呼する女の子の声が響く。


 何だよ、大声を張り上げるなよ、僕ならここにいるぞ。

 もう18なんだ、間違っても迷子センターに通報するんじゃないぞって……。


「てつま! いい加減にしなさい!」


 ふと僕の身体に痛みが走る。

 痛いなんて生やさしいもんじゃない。

 なぜか両足の関節が悲鳴を上げていた。


「イタタ! 何すんだよ! ちょっと待て! ガチで痛いんだがー!?」


 哲磨てつまは意識を覚醒し、寝ていたベッドから目を覚ます。


「哲磨、寝ぼすけは一度逝かないといけないらしいし、冗談抜きでこのまま息の根を止めてあげよーか!」


 哲磨の身体はベッドの上でうつ伏せになっており、両足が背中に向かって引っ張られていた。

 いや、一回成仏したら人間終わりだろー!?


「イテテ、おい深裕紀みゆき、俺の身体に何をするんだよ!」

「何、そんなに逆エビ固めに快楽を覚えた? なら、もっと強くしないと目覚めないかな?」

「止めろ、真剣に痛いから、素直に起きるからもう勘弁してくれー!?」 


 深裕紀が僕の両足を挟んだ腕を思いっきり引き上げる。


「好評につき、感度20パーセントアップ!」

「ぎゃああああー、ギブギブッ!?」


 僕は寝起き一番から、この世の断末魔を上げた……あいにく死んではないけどな。


****


「哲磨、朝ご飯できてるよ。料理が冷めちゃうから早く着替えてリビングに来てね」

「あい、分かっております。般若レスラーの特攻隊リーダー」

「あははっ、哲磨ってほんとに面白いよね」

「僕は君の玩具なのかね……」

「うーん、半額だったら考えてもいいかな?」

「僕の人としての権利は無視なのか……」


 彼の名前は荒良川哲磨あらかわてつま

 近所学校に通う高校三年の18歳。

 身長は170いくかいかないか。

 黒髪のカールパーマで顔はそこそこに整った男である。

 また視力が悪いため、文字などを読む時は眼鏡は必須のアイテムでもあった。


 哲磨は白いアヒルのイラストが描かれたお茶目なプリントTシャツをベッドに投げ捨てながら、お馴染みの学生服に着替える。

 勉強机に置かれた手鏡に映る寝ぼけた顔プラス、似合いもしない紺のブレザーの制服に締まりのない赤いネクタイ。

 ネクタイの色は自由には選べず、三学年は赤と決まっている。


「あー、いまいち格好に欠けるな。今日も深裕紀にしてもらうか」


 彼はいつになってもネクタイを絞めるのが苦手だった……。


****


 季節は10月、街は鮮やかな風景となり、山に囲まれたこの場所は最近になって秋の気配を感じ始めていた。


 日本の東北地方に値する永野ながの県の山の近くで暮らしていた僕は仕事の事情で海外に転勤となった両親に代わり、この伝統溢れる築十年になる、二階建てのマイホームで一人暮らしをしている。


 そのはずなのだが、一人になった途端に、この黒くて長い髪の女の子が毎朝押しかけてくるようになり……。


「全く毎日夜中まで勉強なんてしないで、ちょっとは早起きをする努力もしてよね」

「いや、そうでもしないといい大学に入れないだろ。一流の大学を卒業して将来安泰な有名な企業に入社する……まさにパーフェクトな男の進路計画だろう」

「その前に高校を無事に卒業しないといけないんだけどね、ガリ勉君」


 文句を言いながらも僕のネクタイを整えてくれる優しい彼女は橋ノ本深裕紀(はしのもとみゆき)。

 小さい頃から仲の良い(良いのか?)いつもの幼馴染み。

 僕と同じ年齢で背丈は150と年頃の女の子としてはごく普通……もうちょっと実りの果実があったらなあ。


 見た目はアイドル顔負けの美少女なのだが、先ほどの俺の起こし方でご承知かと思うが、粗野で乱暴な所がある。

 俗に言う男勝りな性格というヤツだ。


「さあ、早いところ食べちゃってよ。でも、深裕紀は食べたら駄目だからね。ロリロリなえっちい本ばかり部屋の押し入れに隠してるオオカミ君」 

「……お前、僕のプライバシーを勝手に」

「しょうがないじゃん。この前の整理整頓の時に見つけちゃったんだから」 

「幼稚園児じゃあるまいし、部屋の掃除くらい自分で出来るわい!」

「よく言うわ、押し入れの中、夏服と冬服でごちゃ混ぜだったわよ。この季節にマフラーでも着けてタンクトップで街中を走り去るつもり? どこぞの四季感が分かってない変質者よ」


 スポーティーな体型に僕と同系色のブレザーと胸元の赤いリボンがよく似合い、美少女な顔とは裏腹に口も悪い幼馴染み。

 僕が苦手とする家事全般を手伝ってくれるのはありがたいが、人様の性癖にまでツッこまれたら言い様がない。


「それで皿に載ったこの怪しげな紫色の物体は何だ?」

「よくぞ聞いてくれましたお客様。これは深裕紀特製によるブルーベリーソースのパンケーキよ。冷凍食品から作ったから味は保証するわ!」


 パンの原型は留めてなく、ぐちゃぐちゃな素材でもあるパンケーキにフォークをズブリとぶっ刺す。

 まあ見た目は汚物壇みたいだが、電子レンジで温めたくらいなら下手な失敗はないだろう。


「学生に大事なものとは一に勉強、二に勉強をする時間、三に勉強が捗るためにバランスのとれた栄養ぉぉぉー!」

「キモッ、どんだけ勉強好きなのよ」

「うおおおおー!」


 僕は大急ぎでパンケーキを食す。

 うむ、程よい酸味が効いていて刺激的なパンチのある酸っぱい物が口に広がり……、


「グフッウ!?」


 僕は唸り声を漏らし、その場で思いっきりぶっ倒れた!


「あれれ、やっぱ賞味期限の過ぎたソースの使用はマズッたか。まあいいや、授業なら深裕紀が代わりに受けておくからw」

「そんな……僕の唯一の生き甲斐が……」

「登校するのにそんなに熱くなる男子って深裕紀の知る限り、あんたしかいないわ」


 哲磨は深裕紀からおんぶされ、近くにあった三人用のソファーに寝かされる。

 その際、哲磨の目の前に一つの白い物が舞い降りてきた。


 あれは何かのゴミか?


 寝転がっている哲磨はゆっくりと手を伸ばし、その浮遊した物を掴み取る。


「これは鳥の羽か? 何でこんな場所に?」


 哲磨が手にしたのは羽毛布団の中身みたいな白い羽だった。

 昨夜から料理の仕込みで深裕紀が鳥でもさばいたのだろうか。


 いや、彼女にそんな勇気も技術もあるとは考えにくいし、お互い年頃の男女なんだ。

 余程の緊急の用事じゃない限り、夜にはこの我が家には訪れないでくれと言い聞かせてもあるから。


『ピーンポーン!』


 そこへ部屋に鳴り響くインターホンの音。


「あっ、あまりにも遅いから紫四花しよかちゃんが執事の車で迎えに来たみたい」


 紫四花とはとあるお金持ちの此処伊羅ここいら財閥のお嬢様でもあり、深裕紀と同学年であり、大の仲良しな友達、いや親友でもある。

 一見接点の無さそうな二人がこうやって仲良くなるという、何があるか分からない感覚……出会いとは不可思議なものだ。


「じゃあ哲磨は大人しく寝ててよね。食あたりに効く薬瓶はテーブルに置いてるから。後、お昼ご飯は冷凍庫に入れてあるチャーハンをチンして食べてね」

「ううっ……冷凍食品ばかり食わせるなんて、下級市民に対して惨めな扱いだ」

「何、カースト制度みたいなこと言ってるの。ここは民主主義の日本だよ。じゃあいってきまーす!」

「いってらー……」


 こうして僕は一人残され、ソファーの上でのんびりとするのだった。


「うぐっ、気分が悪い……」


 まあ、のんびりできるご予定は早くも崩れ去ったのだが……。

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