物の見事に

 よほど、自分が提案した力の使い道に思うところがあったのだろう。彼は随順に、料理を口の中へせっせと放り込み始めた。「味の如何にかまけてなるものか」そんな言葉が聞こえてきそうな勢いである。五分と満たぬうちに、皿の上の料理を平らげた。手を引っ張って退店を促す彼の意欲には、驚かせられると共に、この瑞々しさに郷愁を覚えた。


 レストランを出て、目玉のように丸い月の下を歩く。雑踏が引き上げた夜気の匂いは、孤独に寄り添う汗の名残りがあり、二人で闊歩すればありもしない祭りの後の高揚感を胸に抱く。


「このまま、向かうんですか?」


 彼は口端を釣り上げて、へりくだる盗人の卑しさを再現する。


「そうだね。夜明けと同時に拝んでやろう。一世一代の瞬間を」


 まともな倫理観の持ち主ならば、先々を想像し、自嘲するなどして与太話の端くれに数えるはずだ。しかしこれは、一度催してしまったら吐き出さずにはいられない、生理現象のようなものである。海のある方角へ歩みを進めるこの足を、止める者はいない。


 新聞配達がせっせと吐いた気を舐めるように灰色がかった雲はゆっくりと流れていく。夜霧をかわすヘッドライトが目を瞑る。今はまだ潮風の香る町で、便宜上、植えられた防風林が役目を終えようとしている。


 幾度か立った事のある砂浜の上で、空っぽな頭がさざめく波の音にさらわれる。これから起きようとしている現実を前にして一切不安がないのは、多大な負荷によって生じる倒錯的な心情だろうか。


「さぁ、やろうか」


 一日の中で最も暗闇が蔓延る時間は過ぎ、水平線の向こうで今か今かと待機する太陽の勇み足が風景を白く染める。彼は、綱を掴むかのように波打ち際で手を伸ばすと共に、ズボンの裾を捲った。次いで脱いだ靴を揃える行儀の良さが災いし、入水自殺を邪推させるものの、他人の目を気にして身の処し方を改める必要のない時間帯である。


「……」


 見とれていた。膝を僅かに折って吊り下げられる手の罪深さと、月にタッチするより厳かな指先の焦れったさに。波の音はフィルムの回転となり、無声映画に食い入るように彼の一挙を見逃すまいとつぶさに目をやった。

白く泡立つ波のカーテンに手が掛けられると、彼を中心として透明な波紋が音も立てず果てまで広がり、もぬけの殻になった海の底でつむじ風が舞った。

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