願わくば

「勘弁願います」


 あらゆる想像が頭の中を駆け巡る。彼の機嫌一つで、世界の全てが脆く、瞬く間に、忽然と無くなる。それは神の如き領域に片足を突っ込んだ者でしかなし得ない、不遜なる力なのではないか。


「今までなにを消してきたの」


「えーっと……黒板とか友達」


 それらは同列にして語るものではないし、まじまじとぬかす太平楽な顔の悍ましさは計り知れない。


「あれ、そんなすっとんきょうな顔をして、どうしたんです?」


 包括的に語ってしまう横暴な回顧を改める事から始めなければ、彼の尺度はけっして展開しない。しかし、矯正を試みようとしても、聞き手の動揺に疑問符を貼る剥落した共感性では、右か、左かを選ぶ事はないし、とどのつまり消し去ってしまうのがやはり彼にとって最善なのだ。


「まだ、続けますよね。ちょっと待ってくださいね。記憶が曖昧で」


「もう結構」


 そして、赤の他人の家に平然とついてくる無教育さは、彼の力に起因する。


「聴きたいんだ。どうして俺に力について話した」


 彼の口元が緩み、目尻も下がる。それは邪な考えが飛び出す前の緩慢的な微表情であった。


「ぼくの力を使って、面白いことしませんか?」


 まるで体のいい儲け話を持ちかけられたかのような気分になった。自分には、彼の力を利用して叶えるべき崇高な願いも、悪事の為の強い思想もない。あるのは、自身を社会の汚点として後続の教訓になろうという、犠牲的精神だけだ。


「わからない」


 無駄に膨張した地球の表層を掃除する為に神が遣いをよこしたとしか思えない大形な力だ。自分がその操縦士になるなど、考えられない。


「あなたはぼくよりはるかに大人だ。色んなことを考えて、色んな答えを持っているはずでしょう?」


 自分の生活に飽き飽きして、下らぬ厭世観はあった。それでもそれは、社会に対して訴えるようなものではない。世迷い言を吐けるほど、ユーモアもない。


「なにも思いつかない」


「……」


 わざわざ秘密を吐露した甲斐のない男である。白々しく落ちた肩の動きや、背骨に吊り下げられる頭の垂れ具合からして、「幻滅」と言う言葉が語るまでもなく発露された。


「あーあ、台無しにされた気分」


 彼の右手が落ち着きなく頭をまさぐる。一挙手一投足に喜怒哀楽の全てが宿り、行き着く果てに無があった。死因を敢えて括るなら、神隠しだろうか。


「やっぱり止めた」


 ひとえに耳を疑った。


「初めて惜しく思えました。あなたに力を使うのは」


 冷徹にも思えるその言葉は、空っぽな頭によって引き出された根っこのようなもの。彼に泣き付いて弁明するなど愚の骨頂だ。縋り付く相手を間違えている。彼の一助となって、役立つ進言の一つや二つ落とさねば、このまま何も実を結ぶことなく過ぎ去るだけだ。

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