第3話

「やっほー、みんな、元気してるー? 夜鈴やすずだよー」


 番組の中盤にさしかかると、夜鈴(私)の出番がやってくる。

 可愛らしいアイドル衣装を身にまとう、夜鈴。ツインテールの髪をなびかせ、太陽のようなまぶしい笑みを浮かべている。

 自信満々。何も怖いものなんてないかのように、笑っている。

 それは魔法にかかった自分の姿だった。

 アイドルである時、私はなりたい自分になれる。

 その自分を応援してくれる人がいる。肯定してくれる人がいる。

 初めは、自分を変えたいという動機から、アイドルになったが、今は自分のアイドル活動に、大きな楽しみを見出している。

 できれば、この先ずっとアイドルを続けていきたいと思ってる。


「君との日々はいつだって輝いていて♪」


 ステージで、夜鈴が歌い始める。

 歌のリズムに合わせて、啓太は小刻みに身体を揺らす。彼の瞳は、楽しそうに、輝いてる。

 ふふ、存分に堪能してよね。アイドルとしての私を、もっと心に刻んで。

 夜鈴の出番が終わると、啓太は夢見心地な様子で、こう言う。


「声質が良いってのもあるけどさ。歌詞に含まれる感情の意味をしっかり理解してるから、夜鈴の歌って心に響くんだよなー。」

「ああー分かる分かる」


 自分のことだから、分かってしまう。

 彼がどれだけ、夜鈴(私)の歌をよく理解してるか。

 私はよっしゃと密かにガッツポーズをとる。笑みをこぼす。


「あーできるなら、今の夜鈴の歌、生で見たかったなー」

「まぁ、次のライブコンサートの時にやると思うから、それまで我慢だね」


 ライブが待ち遠しいなと、うずうずする啓太。

 あーもう、かわいいなぁ啓太。そんなに私の歌を求めてるのかー、ふふ。

 しょうがないなぁー。なんなら、今ここで歌ってあげようか? 

 啓太にだけ特別だよ。 

 ……みたいな事を考えるけど、実行に移す度胸は私にはなかった。

 正体をばらす勇気は今の私にはない。


「ライブって2ヶ月後だよなー。まだまだ先だなーちくしょう。はー、できるなら、週1で、夜鈴のライブを見たい。推しの姿を拝んで、推しの歌を聞いて。推し成分をもっともっと補給したい」


ああーもう、かわいいな啓太は。私のこと好きすぎるでしょー。


「はは、本当啓太って、夜鈴(私)のこと好きだよねー」


 昨日も使ったセリフを言うと、啓太も


「好きじゃない、大大大好きだ!」

 

 やはり予想通りの反応を返してくる。

 それに対して、何か軽口を言おうとするが、できなかった。

 頭の中はすっかり、別のことで一杯だった。

 大大大好きという言葉を聞いた瞬間だった。

 自分の中にある思いが濁流のようにあふれてきた。

 毎日、毎日、積み重ねている愛おしいという感情。

 それが限界を迎えたのかもしれない。

 私は気づくと、動いていた。啓太の肩に手を回し、抱きついていた。

 顔が近づき、鼻先がこすれあう。

 そして、ねっとりとした視線で、啓太の顔を見て、唇に視線を落とす。

 突然の行動に啓太は目を見開く。

 遅れて、状況を理解すると、顔を真っ赤にしてそわそわしてしまう。 

 彼はひどく落ち着かない声で言う。


「ふ、藤野……?」

「ねぇ、しよ?」


上目遣いでささやく。

かかる吐息に啓太の肩がビクッと震える。


「えっ、えっと、何を……」


啓太が上澄った声で言う。


「キスしよ。私、啓太とキスしたい……」


 瞳と、瞳が触れ合いそうになるまで、近づける。

 その瞳で、思いを強く訴える。

 啓太は私が彼女であることを意識すると、挙動不審になる。

 だから、キスとか、そういう空気になるのはずっと先だと思ってた。

 でも私の高鳴る愛は今したいと、強く望んでいた。 

 何度も瞬きを繰り返し、私の瞳を見つめる啓太。

 本気の思いが伝わったのか、啓太は次第に落ち着きを取り戻す。

 彼は神妙な顔で、静かにうなずいた。


「俺もしたい。藤野と……キスしたい……」


 瞬間、理性が吹き飛んだ。

 私は襲いかかる肉食獣のように、啓太の唇を奪った。

 自分の本能にしたがうように、情熱的なキスをした。

 啓太は戸惑い、恥ずかしがる。

 でも何度も、キスを交わすと、その味に夢中になる。やみつきになる。

 私はそれに喜びを感じると、より行為を激しくする。

 気づくと、恋人つなぎをしていて、無言で互いの感触を貪っていた。

 行為が終わると、私達は恥ずかしさから、視線を合わせられなかった。

 でも、「私とのキスどうだった」と、恐る恐る言うと、彼は、ためらいがちに「すごく良かった」

 と答えてくれた。

 私は嬉しくなって、こう言った。


「じゃあ毎日する、キス?」


 彼は黙ってうなずいた。

 私はよっしゃと、またガッツポーズをした。



 夕方になり、家に帰ると、自分のベッドに倒れ込む。私は感触を思い出すように、唇に手を添える。

 幸福な思い出を想起する。


「えへへ、啓太とキスしちゃった。キスしちゃった」


 手足をばたばたさせ、悶えてしまう。

 ああやばい、このままだと、幸せすぎて、自分がどうにかなってしまいそうだ。

 だけど、やがて、あることを思い出してしまう。

 啓太の推しが夜鈴(私)で、あることを……


「あーーー!」


 思わず、叫ぶ。

 やってしまった。私はものすごい事をしてしまった。

 浮かれてた心が急速に沈んでしまう。

 ベットのシーツを強く握りしめると、私は自分のしたことを後悔する。

 正直、恋人になった時点で、手遅れだけど、キスしてしまったら、もう致命的だ。

 推しとキスした男。そんな重い罪を啓太に背負わせてしまった。

 ああ、どうしよう。啓太がこのことを知ったら、すごくショックを受けるだろう。

 最悪、自殺するかも。

 どうしよう。どうしよう。パニックになった頭で考えるも、答えは出てこない。

 やがて考えつかれると、天井をぼーっと見つめてしまう。

 はぁー、啓太がいっそアイドルガチ恋勢なら、いいのに。

 現実逃避ぎみになった私は、そんな愚痴をぼやく。

 しかし、この何気ない言葉が、私にあるひらめきを与えた。

 いや、待てよ、そうか。その手があった。啓太をどうにかして、ガチ恋勢にすれば……。

 私は光明を見出すと、ベットから勢いよく起き上がった。


「……啓太にはもう一度恋に落ちてもらう。私のことをもう一度好きになってもらう」


 決意を口にすると、私は拳を強く握りしめた。

 これは勝負だ。

 推しへの気持ちが強いか。恋人への気持ちが強いか。

 2つの思いの勝負だ。

 私は私に勝つ。打ち勝ってみせる。絶対に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ずっと付き合ってた彼女が推しのアイドルだった話 田中京 @kirokei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ