第2話

「起立、礼、ありがとうございましたー」


 下校のあいさつがすむと、至福の時間がやってくる。

 私は踊るような足取りで、啓太の席に向かう。


「じゃあ、一緒に帰ろっか♪」


 口元を緩め、微笑むと、彼が嬉しそうに答える。


「おう、そうだな」


 表情から、私との時間を楽しみにしてたことがわかる。

 私も同じだよ啓太。

 じんわりと湧き上がる喜びを胸に、学校を出る。

 田んぼに囲まれた一本道を歩く。


 外は雨上がりで、青空にきれいな虹がかかっていた。

 ご機嫌な天気だ。今日はすごくいいことがありそう。

 いや、そうじゃない、すでにいいことはもう起こっている。

 そう、隣の彼氏を見て、気づく。

 啓太とこうして、毎日一緒にいられる。これ以上にいいことなんて、思いつかない。


夜鈴やすずのアイドル衣装でどれが一番かわいいかっていったらさ、やっぱ断然ファーストライブのやつだよな」

「ああ、和風テイストのやつね。私も好きだけど、個人的には、クリスマスライブのサンタコスのやつの方が……」


 私達は、夜鈴という共通のアイドルを推しているカップルだ。

 だから、会話の内容はだいぶ偏っている。話題のほとんどは、夜鈴についてだ。

 そして、夜鈴はもう一つの私の顔だ。

 自分の正体を隠し、他人という体で話すのはなかなか、奇妙であるが、そこには込み入った事情があった。

 こんな状況を作った原因は自分にある。

 私は生まれつき、臆病な性格だ。人に拒絶されることを極端に恐れてしまう。

 だから、中学が別々になり、友達だった啓太と疎遠になりつつあると気づいた時、どうにかしたいと思ったけど、結局行動には起こせなかった。

 啓太にとって私はもう過去の存在で、会ったとしても、そっけない態度を取られるかもしれない。そんな不安がよぎると、、彼の家の前まできても、インターホンを鳴らせなかった。

 そういう弱い自分がどうしようもなく嫌だった。嫌だったから、どうにかして変えたかった。

 アイドルになろうとしたのは、それが理由だった。

 怖いものなんてない。いつもニコニコ明るく、元気に振る舞う存在。

 アイドルという仮面をかぶり、理想の自分を演じることで、自信を持てるようになりたかった。

 まぁ、世の中、そんなうまくいかず、高校でクラスメイトになっても啓太と話す勇気は持てなかったわけど。

 でも、アイドルになった恩恵はあって、私と啓太が話すきっかけ作りをしてくれた。

 啓太がアイドルとしての私、夜鈴を推してるかもしれないと知った時、すごく嬉しくなった。

 嬉しさのあまり、気づいたら、啓太に話しかけていた。

 自分も夜鈴のファンだという体で、話し、啓太と仲良くなろうとした。本当の事は言わなかった。自分が夜鈴本人だといったら、信じてくれないと思ったから。

 そして、私と啓太は同じアイドルの話で盛り上がり、元の友達関係に戻った。

 求めてた啓太との時間が蘇り、私は幸せだった。

 折を見て、私の正体のことを話したかったが、啓太は夜鈴を純粋に応援していると知ってしまい、それができなくなってしまった。

 彼は推しを大事に思ってる。だから、ファンとして、推しとの節度ある距離を保とうとするだろう。

 私はそれが現実になるのが、怖かった。

 だから、秘密のままにして、啓太との関係を続けた。

 そして、互いに親密になり、私達は恋人同士になった。

 啓太に悪いことをしてるという自覚はあったが自分の気持ちには嘘をつけなかった。好きな人と結ばれたいという強い欲望には抗えなかった。

 こうして私は、夜鈴本人であるのに、恋人と一緒に、夜鈴を推していく……というどこか、シュールな状況を作りあげた。

 事実は小説より奇なりとは、まさに、このことだ。

 本当のことを話さなきゃいけない。恋人相手なら、なおさらそうだ。分かっていはいるのだが、失うかもしれないものを考えて、現状に甘んじてるのが、今の私だった

 我ながら、情けないと思う。

 現状を再確認し、改めて、ため息をつく。

 すると、啓太がつい、眉をひそめる。


「どうした、藤野?」


 私はハッとなる。内心を悟られたくなくて、慌てて笑顔を取り繕う。


「い、いや、啓太と毎日、推しのアイドルの話ができて、嬉しいなーって」


 とっさに出た言葉だけど、これは常日頃思ってることだ。

 私……夜鈴のことを話してる啓太は生き生きしている。好きなものに心を躍らせる子供のよう。

 その思いはどこまでも純粋。 私は自然とそんな彼の様子に、心を奪われてしまう。

 ずっと見ていたい気持ちにさせられてしまう。

 そして、たまらなく嬉しくなる。彼が夜鈴(私)を好きになり、ファンになってくれたことを。

 

「俺も同じだ。お前と推しの話をしてると、すごく楽しい。楽しすぎて、時間があっという間に過ぎてしまう」


 啓太が嬉しそうに言ってくれるものだから、落ち込んでた心がすぐ、元気になる。

 我ながら、単純な女だと思う。

それからは、啓太と楽しくおしゃべりに興じ、あっという間に、啓太の家にたどり着く。 

 推し仲間になってからは、啓太の家で過ごすのが日課になりつつある。

 私の家で過ごすことはあまりない。親が在宅リモートで仕事をしてて、家の壁がすごく薄いから、声のボリュームに、気を遣うからだ。

 家の中に入り、啓太の部屋に行く。部屋は相変わらず夜鈴グッズで一杯だ。

 もうお馴染みの光景。だけど、飽きることはない。啓太の夜鈴を推す強い気持ち。それを明確な形として、見ることができ嬉しくなるからだ。

 啓太と一緒に、ソファに座る。下校時の会話で、昨日、夜鈴(私)が出てた夜の歌番組を一緒に見ようという流れになった。啓太はテレビを付けて、録画した歌番組を再生する。

 


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