ずっと付き合ってた彼女が推しのアイドルだった話

田中京

第1話

 会場の熱気は最高潮に達していた。観客の声援は魂の叫びそのもの。

 みな、ステージの上にいる、一人のアイドルに夢中だった。


「みんなー、今日は私のライブに来てくれて、ありがとうねー!」


 アイドルは長い黒髪をなびかせ、嬉しそうに言う。

 浮かべた笑みは、無垢で明るく、愛らしい。

 地上に舞い降りた天使がそこにいた。


「ああ、やっぱり、いつ見ても素敵だ。尊すぎる」


 思わず、感嘆とした声をもらしてしまう。

 至福の時間をかみしめていた。

 ソファに座り、アイドルのライブ映像をテレビで見ていた。

 夜鈴やすずは最高のアイドルだ。俺、宮城啓太にとっての生きがいだ。

 中3の頃に見た、深夜の音楽番組で彼女を知った。

 その可愛らしさと明るさに、心が癒やされてしまった。

 それ以来、彼女にどっぷりとはまってしまい、高2になった現在にいたるまで、

 ファン活動を続けている。

 その軌跡を物語るように、今いる俺の部屋は、夜鈴一色。

 彼女に関する公式グッズでいっぱいだった。

 ライブ映像を見終えると、もう、夕方。俺は満足げに、深く息を吐いた。

 ありがとう、夜鈴。この世に生まれてきてくれて、ありがとう。


「本当、啓太は夜鈴ちゃん好きだよねー」


 気づくと、同じソファに座ってた藤野ゆかりが、愉快げにこちらを見つめていた。

 長い黒髪の女の子だ。整った顔立ちをしている。美人といっていい。


「好きじゃない。大大大好きだ!」

「ふふ、激重感情爆発だねー。いやー、夜鈴ちゃんも幸せだね、こんなにファンから愛されて」


 食い気味に答えると、露骨に機嫌をよくする藤野。

 俺が夜鈴のことを好きというたびに、彼女はいつもこんな反応をする。

  

「誤解のないように言っておくけど、推しのアイドルとしての好きだからな。恋愛感情は一切ない」

「何回も言わなくていいって。心配しなくても、私はちゃんと分かってるから。君の彼女として」


 君の彼女という言葉に、思わず俺は、顔を赤くしてしまう。

 藤野という存在を異性として、意識してしまう。


「お、おう……そうか」

「ちょっと、そんな照れないでよ。私も変に意識しちゃうじゃん、もう」


 藤野は頬を赤く染め、口を尖らせる。


「す、すまん」

「まぁ、こういう初初しいのもありかもね。いかにも付き合い立てですって感じで……」


 藤野がふっと、穏やかな笑みを見せる。

 その笑顔に無性に愛らしさが募る。

 しかし、藤野と恋人同士になるとはな。世の中、何が起こるか分からないものだ、

 藤野とは小学校が同じで、よく一緒に遊ぶ友達だった。

 その頃は互いにその関係が続くと思ってたが、違う中学に通うようになると、自然と距離ができ、疎遠になってしまった。

 高校で、同じクラスメイトになったが、いまさら、元の関係に戻るには時間がたちすぎた。

 お互い、話すきっかけがなく、疎遠状態がずっと続くかに見えた。

 しかしある日、俺が教室でうっかりスマホを落とし、近くにいた藤野がそれを拾ったことで大きな変化が訪れた。

 その時、スマホの画面は、俺が定期的にチェックしてる夜鈴の公式ファンサイトが表示されていた。

 藤野はそれを見ると、たちまち目の色を変えた。そして、興奮した様子で、俺に詰め寄ってきた。


「えっ、啓太も夜鈴ちゃん推しなの?」


 そこで、藤野がアイドル夜鈴のファンであることを知った。

 そこからは互いに意気投合して、推しの素晴らしさについて、語り合い、以降、ドルオタ仲間として、一緒に時間を過ごすことが多くなった。

 親睦は深まっていた。気づくと俺たちは、引かれ合い、恋人同士になっていた。

 元々友達同士の関係だったから、相性が良かったのだろう。

 つまり、夜鈴という大天使アイドルの存在が、俺達の仲を取りもち、進展させたのだ。

 そういう意味では推しへの感謝の気持ちがたえない。

 しかし、恋人になったのはいい事だが、そうなると、以前と同じようにはいかなくなる。

 ふとした瞬間、異性としての藤野を意識してしまって、うまく話せなくなってしまう。

 幸せな悩みではあるが、どうにかしないとなぁと思ってしまう。


「じゃあ、そろそろ遅いし、私帰るね」


 藤野はそう言って、ソファから立ち上がった。


「そうか、また明日学校でな」

「うん、今日は楽しかったよ啓太」


 満足げに笑う藤野。

 そう言ってもらえて、彼氏としては嬉しい。

 藤野が帰ると、またすぐ会えるというのに、もの寂しさを感じてしまう。

 恋人になって、藤野への思いが強くなっている証拠だ。

 アイドルオタクを続けつつ、恋人と青春の日々、こんな時間がいつまでも続いて欲しい、そう強く思う自分がいた。




「はぁー……」


 私藤野は、啓太の家を出ると、自宅までの道中、ため息をついていた。

 また今日も言えなかった。

 あのことを……。


「啓太はどう思うかな。私が実は、アイドル夜鈴として活動してるって知ったら……」


 推しのアイドルと付き合ってると知ったら、彼は今まで通り、接してくれるだろうか。

 それとも、別れようと切り出すだろうか。推しに対して、節度ある距離を保とうして。

 そんな不安を胸に抱えて、私は啓太と付き合っていた。

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