第13話 医師(4)

 どこかで自分の名前を呼ばれたような気がした。

 どこか遠くの方から、自分を呼んでいる声がする。


 頭をステアリングにぶつけた衝撃で、目を覚ました。

 どうやら、一瞬だけ意識を失っていたようである。

 腰に激痛が走る。


「川瀬っ! 何処に隠れやがった、川瀬っ!」

 自分を呼んでいる声は、夢ではなく本物であったようだ。


 その声に答えてはいけない。

 わたしは本能的に悟り、ダッシュボードへと手を伸ばした。

 

 ダッシュボードの中には小型拳銃であるデリンジャーが眠っている。

 そのデリンジャーを取りだすと袖口に隠し入れて、運転席に深く身を沈めると様子を窺った。


「川瀬、何処に隠れやがった。出て来いや!」

 プジョーの前をカーキ色のコートを羽織った角刈りの男が歩いて行く。

 手にはL字形の鉄の塊がしっかりと握られていた。


 なぜ、その男が自分のことを捜しているのか、わたしには理解できなかった。

 記憶を辿る限りではあのような男とは面識が無いはずだ。


「くそっ、どこだ! 出て来い、川瀬っ!」

 男は血走った目をぎょろぎょろとさせながら、あたりを見回している。

 チャンスがあるとするならば、それは一度限りだ。


「川瀬っ!」

 男は叫び声を上げ、プジョーとは道を挟んで反対側にあったベンツを蹴飛ばした。


 チャンスは一度だけ。

 わたしは、プジョーのアクセルを一気に踏み込んだ。

 タイヤが地面と摩擦する嫌な音をたて、体に重力が掛かる。


「かわ……」

 男が音に気付いて振り返ったが、その時は既に遅かった。


 プジョーは止まることなく、正面のベンツへと突っ込んでいった。

 鈍い音と共にわたしの体を衝撃が襲う。

 運転席のステアリングからはエアバッグが飛び出し、わたしの体をシートとの間に押し付けた。

 わたしはプジョーのドアを押し開けると、脇に転がるようにして車外へ出て、自分が轢いた男がどうなったのかを確認した。


 男の体はプジョーとベンツの間にしっかりとはさみ込まれていた。

 わたしは男の様子をうかがったが、誰がどう見ても即死状態であった。


 ベンツの前輪に挟み込まれるようにして、男の右腕が拳銃を持ったままの状態で転がっているのを見つけ、わたしはその拳銃を取ろうかと思ったが、あまりにもグロテスクな状態であったため、拳銃はあきらめることにした。


 それにしても、この男は一体誰だったのだろうか。

 わたしの頭には、その疑念だけが残った。

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