第12話 医師(3)
気がつくと、わたしはホテルのカフェラウンジにいた。
なぜ、自分がこのような場所にいるのか、理解できなかった。
手には英字新聞を持っている。いつ、どこで購入したのだろうか。
そもそも、わたしには英字新聞を読むなどといった趣味は持ち合わせていない。
また頭痛が襲ってきた。
頭を抱え込むようにしてわたしは身を縮こまらせた。
頭痛が治まるのを待ち、ウエイターにオシボリを貰うと、そのオシボリで顔を拭いた。
どうしてこのような頭痛に襲われるようになってしまったのだろうか。
この頭痛は今までに経験したことの無いような鋭い痛みだ。
医師である自分でも原因がわからないような頭痛に悩まされるだなんて、思いもよらぬことだった。
ようやく落ち着きを取り戻したわたしは、英字新聞に目を落としながらコーヒーを飲んでいた。
英字新聞などに興味はなかったのだが、それが習慣であるかのように無意識のうちに読みはじめていた。
コーヒーを啜っていると、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「お客様のお呼び出しをいたします。川瀬克巳さま、川瀬克巳さま。いらっしゃいましたら、フロントまでお願いします」
無意識のうちに立ち上がっている自分がいた。
なぜ、わたしは自分でもない名前を呼ばれているのに、自分だと思い立ち上がってしまったのだろうか。
椅子に座り直し、そんなことを考えていると、男の叫び声と何かが破裂するような音が耳に飛び込んできた。
わたしはその音に驚いて、椅子から転げ落ち、背中を強打した。
なぜか、その音が銃声であるとわかった。
だが、わたしは銃声などは一度も耳にしたことが無いはずである。
あまりにも突然の出来事で、何が起きているのか状況を把握できなかった。
ただ一つだけいえるのは、強打した背中が痛いということだけである。
銃声は一発だけに終らず、何発も立て続けに鳴り響いている。
その銃声に共鳴するかのように、いくつもの悲鳴が上がっていた。
どうしてこんな目に合わなければならないのだ。
面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
何とかして、この場から逃げ出さなければならない。
わたしは、とりあえず近くにあった鉢植えの陰に身を隠すために体を動かそうとしたが、腰に妙な違和感があることに気付き、腰にそっと手を当ててみた。
手のひらに生暖かく濡れているような感触が伝わってくる。
慌てて手のひらを見ると、手のひらは真っ赤な血で染まっていた。
銃声がすぐ側で聞こえた。
目の前にあった植え込みの土が撥ね上がる。
やばい、このままでは殺される。
本能的にそう思ったわたしは、匍匐前進のような恰好をしながら這ってホテルの玄関口まで逃げ出そうとした。
銃弾が何発も頭の上を飛んでいき、すぐ近くに着弾した。
まるで、戦争映画で飛び交う銃弾の中を突き進んでいく主人公になったような気分だった。
割れたガラスの破片などを被りながらも、なんとかホテルの出口までやってくることが出来たわたしは、その足で地下駐車場へと向かった。
なぜ、わたしは地下駐車場へと向かったのだろうか。
地下駐車場には、愛車であるプジョーが入れてある。
突然、それを思い出した。
そうだ、わたしはプジョーに乗って、このホテルまでやってきたのだ。
誰もいない地下駐車場を走り、駐車してあるプジョーへと近づいた。
確かに、わたしの愛車であるプジョーだ。断片的ながらも、プジョーに乗っていた時の記憶が甦ってくる。
プジョーの鍵を開け、腰を低くしながら車内へと潜り込むと、もう一度、腰に手を当ててみた。
親指が付け根まで入っていくのがわかる。傷はかなり深いようだ。
着ていたジャケットを脱ぐと腰に縛り付けて形ばかりの応急処置をした。
鋭い痛みが腰にあったが、そんなことを気にしている暇は無かった。
いまは何よりも、この場所を脱出しなければならない。
本能がそう伝えていた。
プジョーのエンジンを掛ける。
なぜか、ダッシュボードが気になった。
わたしは腰を抑えながらダッシュボードへと手を伸ばそうと、助手席側に体を傾けた。
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