第11話 医師(2)
夜間の急患対応を終えて自宅のあるマンションへと帰ってきたわたしは、エントランスホールでエレヴェーターがくるのを待っていた。
部屋があるのは三階なのだが、疲れ切った体ではとても階段をあがる気にはなれなかった。
エレヴェーターはマンションの最上階である七階まで上がり、やっと一階に向けて降りてくる様子を見せていた。
なかなかやって来ないエレヴェーターに少し苛立ちを覚え始めた頃、スマートフォンが着信を知らせた。
ディスプレイを見ると、その電話は非通知設定で掛けられてきているものであると表示されていた。
わたしはその電話に出るべきかどうするか悩んだが、親指でボタンを押し電話に出ることにした。
「もしもし……」
自分の名前はあえて名乗らないようにした。相手が誰であるかわからない以上、名乗る必要はない。わたしはそう考えている。
「久しぶりだな。佐久間だ」
「どちらの佐久間さんで?」
知り合いに佐久間という人間は三人ほどいる。だが、受話口の向こう側から聞こえてきた声には聞き覚えは無かった。
「もしかして、忘れてしまったのか」
「いや……ですから、どちらの佐久間さんなんですか?」
「あんたがよく知っている、佐久間だよ。川瀬」
「川瀬? 間違っていますよ。わたしは、川瀬という人間ではありません」
わたしは電話を切ろうと親指を動かした。
「なに言ってんだよ、川瀬。自分のことを忘れちまったのか。お前は川瀬克巳だろ。レフトハンドと呼ばれた殺し屋さ」
その言葉を聞いたとき、突然、頭痛が襲ってきた。今までに経験したことの無いほどの頭痛だ。頭が割れるのではないかと思うほどの痛みが襲ってくる。
そして、その痛みと同時にいくつかの光景がフラッシュバックしてきた。
目の前に横たわる血まみれの男の死体。
わたしはその男の死体を見下ろしている。
男は日本人ではない。彼はロシア人だ。
そう、駐日ロシア大使のセルゲイ・アレクサンドロフ。
なぜ、そんな光景が脳裏に浮かんできたのかわからなかった。
そのせいもあって、さらに混乱していく。
「川瀬、お前の事を待っている人間がいる。今夜8時に帝都ホテルのロビーへ行け」
受話口から声が聞こえてくる。
いや、受話口からではない。直接、脳へ語りかけてきているような感じがした。
あまりにも酷い頭痛だったため、わたしはしゃがみこんでしまった。
なぜか、体の震えが止まらなかった。
一体、わたしは誰なんだ……。
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