第10話 鳥羽幹泰(1)

 その夜、榮倉幸三は赤坂にある仁科の別邸へと呼び出されていた。


 通された部屋では、右手にブランデーグラスを持ち、左手で脇に座らせている若い女性の胸を触る仁科が榮倉のことを待っていた。


「どうかしましたか」

 榮倉の言葉に、イタリアから取り寄せたという革張りのソファーに身を沈めるようにしていた仁科徹が口を開いた。


「明日、海田のところへ何人か送り込もうと思っている」

「明日ですか」

 榮倉は驚きの声を上げた。いくら前々から準備していたからといっても、突然明日と言われても急すぎる。


「ああ、明日だ。お前が驚いたように、海田の連中も予期していないはずだからな」

 仁科は弛んだ頬肉をつり上げるようにして、笑みを浮かべた。


「だが、海田組の縄張りに攻め込む前に始末して置くべき人間がいる」

「誰でしょうか?」

「梟だ」

「えっ、梟ですか。梟を始末してしまったら、殺しの依頼を頼む相手はいなくなってしまいますよ」

「幸三、お前って奴はとことん馬鹿だな。もう梟なんて必要ないだろうが。私が恐れていた左手は既に死んだんだぞ。左手がいないとなれば、梟も必要ないだろ」

「ですが、何のために梟を?」

「バカタレ! そんなこともわからんのか!」

「すいません」

「梟は第二の左手になりかねん。あいつらは金で動く連中だ。もしかしたら、わしを殺すために海田の連中が梟を雇うかもしれん。そうなったら、厄介だろう。だから、その前に芽は摘んでおくんだ」

 再び仁科は弛んだ頬肉をつり上げて残忍な笑みを浮かべると、榮倉と向かい合って座っているテーブルの上に、布に包まれたL字形の物体を置いた。


 形を見ただけでその物体が何であるかは、榮倉にも安易に想像できた。


「最近、西の方から流れてきたやつだ。まだ試し撃ちすらしてない新品だ。たしか、お前の下に鳥羽って若い奴がいただろ。自衛隊あがりの。あいつにやらせてみろ」

 仁科の言葉に、榮倉は無言で頷くと、布に包まれたL字形の物体を受け取った。



※ ※ ※ ※



 事務所へと戻ってきた榮倉は、電話番をしていた鳥羽幹泰を応接室へと呼び出すと、ソファーに座らせた。

 普段、鳥羽のような下っ端組員がソファーに座ることなどは許されていない。そのため、鳥羽もなぜ自分が榮倉に呼び出されたのかを悟っていた。


「鳥羽、お前を呼んだのは他でもない……」

 榮倉は梟を殺害する計画を全て鳥羽に打ち明けると、仁科から渡された布に包まれたL字形の物体をテーブルの上に置いた。


「やってくれるな、鳥羽。大丈夫だ、お前ならやれる。お前さんに、もしもの事があったりしても、組が奥さんと子供の面倒は見てやるから安心しろ。今回は仁科組長のご指名なんだぞ。ここで手柄を立てておけば、すぐに幹部になれると保証されているようなもんだぞ」

 鳥羽に有無を言わせぬ威圧的な口調で榮倉は言うと、半ば無理やり鳥羽に布に包まれたL字形の物体を握らせた。


 布に包まれたL字形の物体を受け取った鳥羽の手は震えていた。

 自衛隊あがりの鳥羽のことだから、自分の手の中にある物体が何であるか、わかっているのだろう。


 榮倉はポケットから煙草を取り出すと一本自分で咥え、もう一本を鳥羽の口に咥えさせ火をつけてやった。


 緊張のためか鳥羽は煙草を上手く吸えず、むせ込んでいる。


 そんな鳥羽の様子を見ながら榮倉は、テーブルの上に一枚の写真と自分の財布から抜き取った二十枚以上はある一万円札を置いた。


「殺るのは、この男だ。名前は川瀬という」

 榮倉はどこかで隠し撮りされた一枚の写真を鳥羽に見せた。写真の中央には、革製のジャケットを羽織った30代半ばぐらいのあごに無精ひげを生やした男が写っている。


「この男を、電話を使って帝都ホテルのロビーで呼び出すから、そこを殺れ。失敗は許されないってことはわかっているよな」

 鳥羽は榮倉の言葉に答える代わりに、生唾をごくりと飲み込んだ。


「殺った後は、夜明けまで自由にしていて構わない。だが、夜が明けたら警察署に自首しろ。大丈夫だ、心配するな。お前の為に最高の弁護士を雇ってやる。長くても五年で出てこれるよ」

 そう言って榮倉は、鳥羽の肩を軽く叩くとソファーから腰を上げた。


「あと、その金は俺からのボーナスだ。少ないかもしれないが自由に使ってくれ」

 鳥羽と視線を一度も合わすことなく、榮倉は応接室を後にした。

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