第9話 佐久間と沢口(2)
「それで沢口さんは、誰の事を知りたいのですか?」
沢口に掴まれたシャツの胸元を手で直しながら、佐久間が言った。
一方の沢口の方は、自分のやってしまった失態に気付き、少し気まずそうな表情をしている。
「この男です。昨夜、帝都ホテルの一室で変死体として発見されました。所持していた免許証から彼の名前が『川瀬克巳』であるということがわかったのですが、免許証は偽造されたもので、免許証に記載されていた『川瀬克巳』という人物は、既に他界しているとのことがわかっています」
沢口の口調は、すっかり元の敬語口調へと戻っていた。
沢口が差し出した一枚の写真には、運転免許証の写真を複製したものだと思われる男の姿があった。
写真を見る佐久間の目には驚きが現われていた。
その驚きの理由が何であるか、沢口は掴むことができなかったが、佐久間はこの男について何か知っているということだけは、刑事の勘でわかった。
アイリッシュウイスキーのグラスをカウンターに置くと、佐久間は運転免許のコピーを手に持ってじっくりと見た。そして、咳払いをしてから口を開いた。
「なるほど。変死体ってことは、殺されていたということですよね。……この男の死因は?」
「額を打ち抜かれていました。二、三メートルの至近距離から、銃弾を浴びたようです。使用された弾薬は、.380ACP。周りで銃声を聞いたという人間がいないことから、消音装置を装着した拳銃を使用したということが予想されています」
「この男が受けた銃弾は、一発だけなのか?」
「ええ。他に銃創はありませんでした。部屋に薬きょうが落ちていなかったので、何ともいえませんが、被害者が発見された部屋から銃弾の跡は残されておらず、もしかしたら、犯人が発射した弾丸は一発だけだったのかもしれないという見解が持たれているところです」
その言葉を聞いた佐久間は眉間に皺を寄せ渋い表情を作ると、呟いた。
「プロの仕事だな……」
沢口は、佐久間の呟いた言葉を聞き逃さなかった。
「プロ。やはり、殺しのプロっていうのは、いるんですね」
流石の佐久間も自分が口走ってしまったことを否定する事も出来ず、認めざるえなかったようで、重々しい口を開くようにして語りはじめた。
「いますよ。この街にも。正確にいえば、いたと言った方がいいでしょうけどね」
佐久間は、二杯目のアイリッシュウイスキーを半分まで飲むと、遠くを見つめるような目をした。
「それはどういうことですか、佐久間さん」
意味がわからないといった表情で、沢口は尋ねた。
「その写真の男ですよ。彼がこの街にいた、プロの一人です」
「え……この男が……」
「彼はレフトハンドと呼ばれていた、この街で一番の殺し屋でした。ほら、5年前に起きた駐日ロシア大使暗殺事件があったでしょ。駐日ロシア大使が、帝都ホテルの個室トイレで死体で発見されたやつ。あれはロシアンマフィアから依頼を受けたレフトハンドの仕事だった……という噂ですよ。まあ、本人が死んでしまったのでは、その噂が本当かどうかも、わからなくなってしまいましたけれど」
佐久間の言葉に、沢口は自分の耳を疑っていた。
もし、佐久間がいま話した事が事実ならば、大変な事になる。沢口のビールグラスを持つ手は、小刻みに震えていた。
「それだけの凄い殺し屋を一発で仕留められる人間が、この街にいるんですか?」
「さあ、それについては私も分かりません。ただ、一つだけ言えるのはレフトハンドを殺すために、その殺し屋を雇った人間が何処かにいるということです。殺し屋っていう商売の連中は、自分の意志で相手を殺すわけではありません。彼らにとっては、それがビジネスなのですから。クライアントがいて、初めて彼らは仕事をする。だから、今回の件も何処かでレフトハンドが死んだ事を笑っている奴がいるということですよ。例えば、この街への進出を狙っている裏社会の組織とかね」
少しだけ唇をつり上げるようにして笑みを作った佐久間は、まだ半分ほど残っている二杯目のアイリッシュウイスキーで唇を潤した。
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