第8話 佐久間と沢口(1)

 一杯目のアイリッシュウイスキーを飲み干した佐久間は、顎先を覆うように伸びている無精ひげに手を当てながら、自分の隣に座るスーツ姿の男へと視線をやった。


 見るからに大量生産されている安物だという事がわかるスーツを着た男は、見た目はサラリーマンのようだが、鋭い目つきを見るとこの男がただのサラリーマンではないという事が嫌でも分かる。

 常に何かを疑って掛かるような目つき。

 その目からは、自分が狙った獲物は絶対に逃がさないという自信が溢れていた。


「沢口さんが私に会いに来るなんて珍しいですね。明日は雪でも降りますか?」

「いじめないでくださいよ、佐久間さん。私が佐久間さんに会いに来たってことは、佐久間さんの力を必要としているからなんですから」

 苦笑いを浮かべながら沢口はいうと、目の前に置かれたグラスビールへと手を伸ばした。


 沢口はあまり飲めない体質なのか、一杯目のグラスビールだというのに、既に顔は赤くなっている。


「私の力ですか。そんなに買いかぶらないでください、沢口さん。私に力なんていうものはありませんよ。あなたたちの方がよっぽど力はお持ちだ」

 空になったウイスキーグラスを佐久間が振って見せると、口ひげのバーテンダーが歩み寄って来て、すぐに新しいものを作る準備をはじめる。


 佐久間は新しいウイスキーが出来上がるまでの間、バーテンダーが手馴れた手つきでアイリッシュウイスキーをグラスへと注ぐのを眺めていた。


「私たちの力が及ばないところまで手が届くのが佐久間さんだと、私は認識しているつもりです。だから、あなたの力をお借りしたいのです」

「いくら出す?」

「え?」

「いくら出すか聞いているんだ。まさか私に、ただ働きをさせるつもりじゃないだろうな」

 笑みを浮かべた佐久間はそう言って、二杯目のアイリッシュウイスキーで唇を濡らした。


「警察への協力は市民の義務ですよ、佐久間さん」

 沢口はそう言って、佐久間に笑みを返すとグラスに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干した。


「私はあなたが今までやってきた非合法な行為に対して、目を瞑ってきたつもりだ。立件しようと思えば、いくらでもあなたを署へと引っ張る事は可能だ」

 沢口の目は据わっていた。声にはいくらか怒気が込められている。

 こればかりはアルコールのせいばかりではなさそうだ。


「お願いの次は、脅迫ですか……。まるでヤクザ者の手口みたいですね」

 佐久間がそう口にした瞬間、沢口の手が伸びてきて胸倉を掴み上げた。


「貴様、いつまでもそうやって、警察を舐めてばかりいられると思ったら大間違いだぞ。他の警官たちはどうだか知らんが、私を言いくるめられると思ったら大間違いだからな」

 胸倉を掴む沢口の力は半端な物ではなかった。

 柔道四段という腕前は伊達ではないようである。


「冗談ですよ、冗談。だから離してください、沢口さん……」

 佐久間の声に我に返った沢口は、ゆっくりと佐久間の胸倉から手を離すと、据わったままの目で佐久間のことを睨みつけた。


「冗談ばかり言っていると、早死にするぞ」

 日頃、温厚な刑事として知られている沢口がこのような行動を起こすとは、佐久間の計算外であり、大いに驚かされた。

 やはり、沢口という男は腐っても刑事なのである。そのことを思い知らされた瞬間であった。

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