十五
俺もその何かが思い出せないから、何かと言ったまでで、思い出せればそうは言わない。それに、夢の中で大事なのは、酒を呑むと云うのと、そこが仙境という事で、最後のオチはどうだって良い。
こちらもあちらも機嫌を悪くしたから、グラスのラムをグイグイ飲むしかない。そうすると、いつの間にかラムが枯れて、新しい酒を欲しくなる。仕方ないから、安物のウイスキーを出す。その安物っぷりに赤塚は首を振り、俺は手前のグラスにばかり酒を注ぐ。
さっき仙境から帰ったばかりだというのに、今度は酔郷に至る道が開けて見えて、畜生、赤塚の面がまた霞んだおかげで、ちょうど良い具合に愛想の悪くない面にも思える。
赤塚は湿気た面して、腐った煙草ばかりプカプカ噴かして、俺を厭に湿っぽい目で眺める。こっちはこっちで、不味くてアルコール臭い安ウイスキーを水の様に煽る。目ん玉がぎろぎろ動いている以外、さっぱり身体が意図しない風に動いて、その視点の中心に赤塚の湿気た面があるもんだから、腹が立って、またグラスの酒をぴたぴた零しながら飲む。
「君。どうだい。ココは仲直りと行こうじゃないか。ええ。そうだな、一つ友情の固め盃そんなところでどうだ。三三九度だかそんな、よく分からない礼儀作法は良いとして、そうしよう。」
俺はやるせなくなって、そんな提案をふやけた身体で云ってみる。
「仕方ない。そうしよう。だが、その酒は御免だぜ。清酒はないのかい。」
赤塚ははにかんで、そう言った。
「そうこなくちゃ。二合瓶が冷蔵庫にあったと思うけどな。」
ふらふら、千鳥足で壁に手を点き、足を絡め、どうにか冷蔵庫に辿り着き、開いてみれば、思った通り冷蔵庫には菊某の二合瓶が入っている。
トクトクリ、徳利に酒を注げば、結局いつもと変わらない調子で呑み、そのあとお互いの顔を見合って、にやり。
俺は勝手に友達たあ良いもんだ。とかと思って、そのあとになって、酔った頭で酒の勘定をする。結局俺が随分と損してやがる。畜生。まあ、友達たあ良いもんだ。そんな風に思考は揺れる。
「なあ、僕はそろそろ逝くよ。楽しかったけど、用があるんだ」
昼過ぎになって、赤塚がそんな事を急に言い出す。
「馬鹿野郎。用事なんて気にせずに呑まずにいて何が酒呑みだい。手前、女の処にでも行く気かい。そんなこたあ、この俺がさせねえぞ。俺には女が居ねえんだ。なのに、手前だけそうして女の処に逃げ込むたあ、随分と調子が良いもんだぜ。ええ。見てみろよ。この俺の体たらくを。こんな輩、独り部屋に残して行って、良いのかい」
卓にもたれ、ナメクジの様な身体の俺は、地球を回しながら言う。
「いや、本当に悪いんだが、僕はもう逝かなくちゃ成んないんだよ。なあ。最期に君とこうして呑めて良かったよ」
今生の別れが来た様な悲しい顔をして、赤塚は言った。
「おい。最期たあ、何だい。随分寂しい事を言うじゃねえか。今日はもう帰っても良いから、今度また来てくれよ。なあ、大事な友達だろう」
俺がそんな事を言っている間に、玄関の扉が開いて、どおっと風が部屋に吹き込むだけ吹き込み、ぴしゃりと扉は閉まった。独り部屋に残され、一瞬追ってやろうとも思い立ち上がり、二三歩も行かないうちに足が絡まり、俺はベチャリとフローリングの床に転がった。転がった後で、床に打った骨がしばらくしてからキシキシ痛んだ。
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