十三

 酔いが夢を運んで、仙境の入り口へ俺を誘った。桃源郷の仙桃が撓わに実をつけて、その実を泉に落とすと、旨い酒が湧いた。とても浮き世で呑める様な酒ではなかった。

 油の様に濃く、琥珀色に輝き、それでいて水の様に喉を滑り落ちた。一口で酔って、それでいて何杯も珠玉の杯を満たさせる酒だった。一口ごとに色を変えながら、芯にある酔いが変わらぬ酒だった。果たして、それが酒であるのかも分からないほど滑らかに香る酒だった。仙桃を肴に不老の妙薬と成り、泉が湧く限りその酒を呑んだ。

 ドコからか響く、聞いたことのない様な雅楽の音色が、酔いを盛り上げて、いよいよソコは酔郷の果て、桃源郷の一端であると思えた。泉を離れ、歩いて雅楽の鳴る方へ向うと、その源には美しい仙女が踊り、奏で、歌い、そして酒を杯に満たしていた。

 仙女の宴に惹かれて、その裡に迷い混んで、共に饗すると、それは色を満たすコトの必要ない、悦楽だった。

 惜しみつつ仙女たちに別れを告げ、歩みを進めると蔓に生る瓢箪を見つけた。コレが絵画なぞで見る仙界の瓢箪に違いないと思い、一つ千切ると、緑色の瓢箪はたちまち黒く染まって、よく見ると瓢箪の漆器に成っていた。桐の栓がいつの間にか付いていて、それを抜くと泉で湧いた名酒とは違う酒の香気がした。

 瓢箪の酒もまた名酒だった。原料が何かは分からないが、よく熟成されて香りの高い名酒だった。

 その酒を呑みながら、木になる果物を肴にして歩いて行くと、大きな滝があった。その滝の前の崖の柳の下に仙人らしい仙人が二人居て、碁を打ち合っていた。一人は白い髪とヒゲの頭が異様に長い仙人だった。もう一人は、肌の黒い巨漢の仙人だった。仙人の後ろには道士だろうか、傘持ちが居て、二人を守っていた。

 瓢箪の酒を呑みながら近づくと、二人の仙人は笑いながらこちらを見て、それから手招きをした。

 碁の一手を後ろから打つと、白いヒゲの仙人は杖をくれた。何でも色々なことができる杖だと云う。風を起こしたり、雨を降らせたり、あるいは漬け物をかき回せばすぐに熟成させ、泉を掘れば金が出る。そんなコトができるものだと云う。

 杖の先に瓢箪を括り付けて、浮き世に降りると、世間は相変わらず不況だとか、なんだと、なんとも悩ましかった。時代錯誤の格好のせいか、街では笑われ、店にも入れず、有り難い杖の使い様も分からなかった。そんな街に嫌気が差して、杖を一振りして風を起こし、二振りして雷雲を呼んだ。三つ振ると嵐に成って、四つで大きな竜巻が上がった。五つ振ると大きく地が揺れて、ソコで杖はぽきりと折れた。六つ振ればモトに戻る。そう仙人は云って居たのだが、杖が折れてしまえばもう戻すことはできなかった。

 街は崩れ、海に飲まれた。河川は怒り狂い蜷局を巻いた。龍の子供が空を割って、山をなぎ倒した。

 ソコで夢は覚めた。外は相変わらず、荒い風が吹いていた。時計を見ると、まだ九時だった。

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