十二
赤塚は俺の言葉に追従した。俺は葉巻を切って、赤塚に一本渡した。キューバの上物で、一本で煙草が一カートン買えるヤツだ。
若草色のアブサンをスプーンの上の氷砂糖に垂らして、燃やす。白濁のアブサングラスの中を蝋燭の火に透かしてみると、喉が鳴った。乾杯を一気に呑んで、赤塚はマッチで葉巻に火を点け、濃い煙を美味そうに流した。俺はアイリッシュパイプを取って、葉を詰め煙を落とした。パイプを噴かしながら、アブサンを拝して、チビチビと呑んだ。
烟ったい部屋に薬効が回ると、酒宴がすっかり模様を変えた。緑の液体がポタリポタリと垂らす水で白濁して、それが蝋燭に揺れ、甘い香りのする青灰色の煙が部屋を覆った。それはまるで魔法使いの儀式か、魔物の宴の様だった。橙の光と壁に陰を作り、不気味な笑いが空間を満たしていた。
「バッカス。デュオニソスには、水と葡萄酒が似合っていると思っていたが、本当は酩酊とその気分の空間の魔物に違いない。僕あねえ、偉そうで傲慢な気分屋の例のあの神様信じていないが、魔物は信じている。いや、知っているよ。いやいや、惚れっぽい愉快な神様たちは信じているんだ。そうじゃなきゃ、酒呑みはやってられない。僕あ、お酒があの愉快な神様を知っている原因だとは思っていない。あの愉快な神様たちが、僕にお酒を呑ませる原因だと思っているんだ。良いか、分かるかい。酩酊の気分が、神にボクたちを近づける信仰の要だとかと言う、頭がカチコチに固まった学者が居るが、僕にすれば、神様たちがボクたちに近づくためにお酒を呑むんだよ。ボクたちがお酒を呑む気分を見て知っている神様はあるとき、そのお酒を舐めてみたんだ。するとどうだい、それはもう素晴らしい蜜じゃないか。コレは推奨しないと損だと思った神様は、お酒をねえ、世界中の人類に広めたんだ。これがあれば、みんな天上に行けるし、自分たちに近づけるってね。知らないのはせいぜい北極圏の酒を作れない奴らと、茸で酔っている奴らさ。ところがね、悪魔はこう言ったんだ。人類に酔いを教えると良くないってね。それが、例のあのお堅い神様でね、それを信じた奴らはお酒を呑まなくなった。そうに違いない。僕あそう思うね。そうじゃなきゃ、僕の様な存在は許されていない。もうどっかでおっ死んじまっているのが良いとこでね」
「そうだ。俺もそうに違いないと思うんだよなあ。全く俺なんぞもどっかでおっ死んじまっている。それが関の山だ」
赤塚は話の分かるヤツだった。酒呑みの心を知るヤツは珍しいが、間違いなくその稀成るヤツが赤塚だった。
アブサンがなくなって、俺は何を呑もうかと考えた。ラムか、それともテキーラ、ウイスキー、ブランデー、泡盛、カルバトス、シェリー、ポルト。なにを出そうか。
俺はブランデーを出した。オードーヴィー、生命の泉。パイプと葉巻の匂いを振り払って、水を一杯飲んでから、グラスに注いだ。豊穣の香り。コレこそ、生命の証である。そう問いかけるのが、この酒の常だった。覚醒を酩酊に移し、生命と向き合うための供物。それがこの酒の意味だった。それは一杯で事足りた。
「次々と、色とりどりの酒が運ばれる天国の様な場所だあ、ココはあ。僕あ、今なら死んでも良いよお。良い酒を呑んで死ぬのは本望だよ。そう教えてくれるお酒だよなあ。コレはさあ。なあ、そう思わないか」
卓に身体を任せ切って、赤塚はそう言った。
「そうだなあ。でも俺はコレを呑むたびに、生きているってのは何だろうか。この酒を呑むのは生きるためか。それとも、この酒がそれを教えるのか。そんなことを思うんだ。だから、こいつは一杯で充分に俺を満たすんだ。泪色の明日がなあ、昨日と一緒にやって来るのさ。そんな気分だなあ。でも、こいつは酔っぱらうけど、村雨の酔いなんだよ。覚醒のアトで、酩酊に引きずっていって、またその場所に落とすような、そんな酒だなあ」
俺がそう言うと、いい加減眠たくなったのか、黄色く濁った目で赤塚は欠伸をした。
「もう眠いのかい」
俺がそう聞くと赤塚は頷いた。午前三時。お開きにするには少し早く思えたが、明朝意有らば琴を抱いて来れ。その言葉を思い、赤塚に煎餅布団を敷いてやった。俺は杯の類いと空いた缶詰を洗って、拭き、並べて、歯を磨いた。止まったのが電気だけで良かった。そう思い蝋燭を吹き消して、ベッドに入った。
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