十一
「こうして見ると、俺はどうも君と会ったことがあるような気がしてくる。きっと夢の中だか、どこかでね。あれは、ドコだったか。」
そうだ。たしかにどこかで会っている。
「頓珍館(とんちんかん)」
俺と男の声が合わさって、小鳥の囁くようなハーモニーを思わせた。顔を見合わせながら、俺たちは肩を笑わせた。どうもその時のことを思い出しながら、俺は男と随分と久しい関係であったのだと思えた。
「何だい、思い出したのかい。そうだよ、頓珍館。あそこだよ。さっきは嘘を言って悪かった。君が思い出すまで、待っていたんだ。酔えば思い出す。酒呑みはやっぱりそうでなくちゃなんないなあ」
そう言って男は気持ちよく笑った。
「そうか、君はあのときの赤塚か。あのときは確か俺が女に振られて深酒をしていたときだっけかなあ。どうも、上戸の好青年が居ると思って、あのときも酌を仕合って、酔郷に迷い混んで、今度はウチで呑もうと言って別れたっけかなあ。そんな事あ、俺は次の日にはすっかり忘れて、それで今日まで仕舞いこんでいたようだ。いやあ、悪い悪い」
合点がいってようやく蟒蛇の正体が分かった。蟒蛇も蟒蛇で大上戸の赤塚に違いなかった。俺も随分と呑める方だが、あの時一緒に酒を呑んで赤塚には敵わないと思った。
去年の暮れに、頓珍館で俺が深酒をしているときに、赤塚も似た様な具合で呑んでいた。お互い女に振られて、何かに付けて世を悲観して、馬鹿騒ぎをして呑んだ。頓珍館は中華から和定食まで出す頓珍漢な店で、酒も馬鹿に安くて、それなりに美味かった。脂っこい肴を撮んで、一合百円也の老酒を酌仕合いながら赤塚と店が十一時に閉まるまで呑んで、それからバーに繰り出して、そのバーが閉ると、朝までやっている肴が缶詰しかない様な汚い店で安い焼酎を飲み交わした。俺はそんなことを思い出した。
あのときの焼酎は美味かった。安くって熟成なんてしていない焼酎で、氷もなければ、カルキ臭い水で割ったヌルい焼酎だった。その店はお湯を沸かす事も出来ないようなところだったが、仮にお湯があっても、お湯で割ろうとは思えない酒だった。その焼酎はホワイトリーカーだとかという気取った名前を付けた、喉に刺さるアルコールだったが、あのときは美味かった。いわゆる甲類の焼酎で、あのときほど美味かったことは今までない。人生で恋をする数より、意気が合う酒呑みを見つける方が稀に違いないのに、それこそ赤塚との出会いは運命と言っても良いものだと思う。そんな事を思って別れたのに、酒のせいで次の日にはすっかり忘れていたあの男が、今日の幽人に違いなかった。この蛇みたいな顔の、それこそ大上戸の蟒蛇はあの赤塚以外に居るはずがなかった。
「思い出したなら、また酌が進むってもんだ。この蕎麦なんて呑みきって、君のウチの酒も全部腹に収めちまおうじゃないかと、僕は思うんだ。まだあるんだろう。まあ、何が出るかは、呑んでからのお楽しみってヤツだな。さあ、一杯一杯復一杯」
こうして、酔いが回れば、ソコは山に成り花開き、柳の下での酒宴にも成った。台風のことなんぞ気にせずに、酌を交わせば、一夜の親友は人生の友にも成る。そう思えた。俺たちは蕎麦焼酎の一升を腹に収めて、どぼどぼと日本酒を呑んだ後特有の臭い小便を垂れて、それで初めて酒宴が始まる心持ちに成った。
「さあ、アブサンを呑もう。芸術家気取りの馬鹿の好む酒だが、確かにコレは効く。酩酊に覚醒さ。そうだった。君にこの葉巻をやるのを忘れていたよ。アブサンなら、風味もクソもあったもんじゃない。こいつは百薬の長ここに有りの薬効を醸すものに違いない。そうでないなら、バッカスの酒だ」
「そうだ。ボクたちは、酒の一滴は血の一滴なぞと言う言葉なんかより、魅惑の薬効を愛しているんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます