十
部屋の白熱電球の陰が、酒瓶に透けてユラユラ揺れて、酒の香気が酔いを運んだ。俺あまだ呑める。そう思い、次々と杯に酒を注いだ。俺が酒を呑み干すたびに、男は悦んだ。男が酒を飲み込むたびに、俺は悦んだ。酩酊の兀兀たる装いが空間を包んで、時間が風を運んだ。
台風のお頭がようやくやってきたのか、窓が激しく音を立てて、アパートがゆさゆさと木の様に、よく震えた。それも俺たちの宴を笑う雅楽に聞こえて、そんな具合に風の音を笑って聞いていると、ふつりと電気が切れた。この馬鹿、畜生と思いながらマッチの火を頼りに蝋燭を出して、二本ばかし卓に立て、コレも粋だなと思った。鑞臭さが気に入らないが、煙草を吸うとタールが香って、そんなモノはどこかに飛んで行った。
「君の吸っている煙草はドコのヤツだい。随分と香ばしいけど、僕あ酒はそこそこに知っているが、煙草はあまり知らないで、これから勉強しようと思っているんだ。できれば教えてくれると嬉しいなあ」
そういう男の顔は真剣そのもので、酔うとどうもヒトの表情は反転するものだと思った。
「これは黒煙草だよ。知らないか、黒煙草だよ。コーヒーで言えば、深煎りの豆みたいなもんさ。フランスのヤツでね、タバコ屋に行かないと置いていないから、買うのが面倒で仕方がない。それにね、酒が好きなら煙草はそれほど愉しまなくったっていいじゃないか。タールが舌も鼻も狂わせるから、どうも上手くないもんだよ。それに君のそれはバニラの香りだろ。そういうのは余計にいけない。俺はパイプも葉巻も愉しむけどねえ、そんなときは繊細な酒はあまり呑まない様にして、安っちいので酔いを作る様にしているのさ。そうだ、これを呑み終えたら、君に葉巻を一本やるよ。一度噴かしてみると良いよ。てんで繊細な酒に合わないのが分かるからね」
そう言うと男は感心した顔で、部屋の中を見渡した。
「いやあ、君はどうも色々と見習うところがあるよ。僕なぞはまだ入り口に立ったばかりの新参者だから、君の様に官能を知っているヒトが近くに居ると助かるなあ。改めて、これから僕と付き合ってくれよ。女の方なら僕もそれなりだから、そのことなら何なりと言ってくれれば良いよ」
男の言い方は嘘っぽかった。女の方はそれなり。それが何を意味しているのかがよく分からなかったが。俺を水商売に付き合わせて金をせびろうってのか、それとも美人局でも画策しているのか、そんな妖しさだった。まあ、コレだけ呑んでそんなに頭が回るのは相当な上戸だ。呑ませて吐かせてみるか。俺はそう思い、酌を進めた。
「俺と呑めるたあ、君も随分と呑める質らしい。上戸は良いことがないから、気を付けた方が良い。金が掛かって仕方ないからな」
風がいっそう勢いを増して、外で轟々と唸りを上げ、その音が部屋の暗がりに浮き沈みを繰り返していた。
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