九
俺にはやはり男が蟒蛇に見えて仕方なかった。食べ方も呑みかたも顔も仕草も蛇の様だった。あの八岐大蛇も大酒呑みだったと云うし、間違ってはいない。そう思った。男が何かを手伝って貰って来たという酒は蕎麦の焼酎で、妙な香りが鼻をくすぐった。甘い蕎麦の香りだった。蒸留酒らしい甘さと相まって、余計甘く思えた。
「君、随分と良い酒を貰ってきたんだな。蕎麦たあ、随分と通人らしい。俺は熟成された麦がウイスキーみたいで好きだが、蕎麦も悪くないや。芋も嫌いじゃないが、どうも米はいけない。それしか呑めないなら、呑むけど、米は臭くて俺の性には合わない。どうせ米なら、やはり清酒に限るもんでね、麦ならウイスキーも悪くないが、ビイルが一等良いや。ビイルは生が良いから、外に行かなくちゃ成らないけど、ペールエールの瓶だったり、ベルギーの寝かせたヤツなんかもそれはそれで良いとは思うんだ。俺は愛国心なんてのは、酒のためにあると思うんだ。美味い日本の酒を呑むために、愛国心ってのはある。そう思うね。でもね、どうもこの島に来るとそれを忘れて、洋酒の強いのばっかり呑んじまう。ワインだとか、シードル、ミードなんかもキライじゃないんだが、どうも蒸留酒ばっかだよ。風味と気分より、酩酊と酔興が先に行っちまうんだよ。それで、芸術家気取りの奴らとアブサンなんて酌し合って、二、三本も呑んでみろ。あっという間にあの世が見えらあ。賽の河原で石なんて摘んでる糞ガキ共の邪魔なんてしに行ってさ。俺はそのとき思うんだ。俺は鬼だってね。鬼ってのは浄化の権化でねえ、良心のある連中なんだぜ。なのに、そんなことをヤラされて、心が泣いて、あんな恐い面に成っちまうんだよ。そんなトコロに酔郷があるんだ。俺はそう思えて仕方ないんだよ。なあ、どう思う。どう思うんだ」
俺がそんなコトを聞くと、男は愉快そうに笑った。
「そいつは良いや。酔郷は鬼の住処であの世の一歩手前。僕たち酔っぱらいはその鬼で、いつも心は泣いてるって。全く、その通りだ。よく僕は蟒蛇なんて言われるが、蟒蛇には阿鼻叫喚地獄が似合っているのに違いないよ。君は酔うと急におしゃべりに成るから可笑しいなあ。でもねえ、僕あ酔郷たあ、もっと面白可笑しいところだと思うねえ。あの世の一歩手前までは良いとして、こうこの世でさっき君が言った幽人だか与太郎だかと大はしゃぎして、あの世の準備をするのさ。そんなところだねえ。きっと極楽はもっと愉快なんだろうと思うよ。李白やら白楽天なんかもいて、みんなで対酌するのさ。詩なんて詠んで、油の様な酒から、水の様な酒まで、古今東西の上戸が酌を交わして、色とりどりの酒に溺れるんだ。琥珀色から真緑の酒まであって、変わり種では紫だったりする。そんなのの準備が酔郷さ。僕あそれが良い」
男はそう言いながら、酒を呑む。
「君は支那の歌仙ばかり取り上げるが、日本にだって酒呑みの歌人は沢山居るんだぜ。なあ、それを忘れちゃ行けないよ。この島にだって幾らか歌があって、俺にはさっぱりだがね。どうもね、毛遊びとかなんとか、若い女と男とその逢瀬と酒を歌ってそれに合わせて踊るんだけどね、どうも、あのセンスには俺は追いて行けないよ」
「ああ、モウアシビーの事かい。それはね、沢山の歌に成っているはずだよ。特に恋歌はねえ。なんでも、その歌をモウアシビーの時に歌って居たって言うじゃないか。歌って、踊って、呑んで、ヤッて。僕は悪くないと思うけどなあ」
「そうかねえ」
「そうさ」
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