「君は上戸のわりに、勿体ぶった呑み方をするな。それじゃあ先が思いやられるよ。」

 不愉快な笑みを浮かべながら酒を呑む男の言うことを無視して、俺は徳利にまた酒を注いだ。間を持たせるために、呑んでは注いで、三合も呑むと酔いが回った。酔いと言っても、所詮酔郷の入り口にも立っていない様な軽いもので、村雨の酔いに違いなかった。

「君。随分と酌が早いじゃないか。こういうときは両人対酌と行かなくちゃ面白くない。ほら、李白がそう詠っただろう」

 男はキザったらしく、そう言った。

「なんだいそりゃあ。君は幽人でもなけりゃあ、ここは柳の下でも山の中でもない。きっと台風が来りゃあ花だって消し飛んじまう。明朝意有らば琴を抱いて来れだって。君は今日呑み明かすのだろう。それじゃあ、眠くたって眠れやしないに決まってらあ。さあ、呑め呑め。こうすりゃあ良いのだろう」

 俺は男の希望通り酌をしてやった。

「そう来なっくちゃ」

 男は妙に嬉しそうに酒を呑んだ。男の喉が酒を呑むとき、卵を丸呑みにする蛇の様に動くことに俺は気味の悪さを覚えた。本当にこいつは幽人じゃあないか。そう思った。まあ、酒好きの幽人なんてものは与太郎の幽人で、似た様なものに仙境に達しない二流道人なんてのもいるから、きっとそこいらの与太郎と呑むのとも変わらないだろう。俺はそう思った。

「ほら、対酌対酌」

 そう言いながら、男は俺に酌をして、俺は男に酌をした。

「君、酔郷ってのはこうして呑んでいるだけで行けるのだろうかね。どうも、僕あ、そんな風に簡単にユートピアに行ける気がしないんだ。なんでも、次の日には二日酔いでグロッキーなのが、酒呑みの常だからね。まあ、二日酔いには迎え酒と相場は決まってるものだけどね」

 男はそう言って、ポリ袋の中身を漁って卓に置いた。戦利品とやらは、サバの味噌煮の缶詰、サンマの缶詰、ツナ缶、鯨の缶詰、イワシの缶詰、サキイカ、そんなモノだった。俺は冷蔵庫からチャーシューと雪花菜の和え物を出して、箸を二膳とって来た。男は嬉しそうにチャーシューを頬張った。

「美味いじゃないか。酒の肴を作るのが上手いヤツは下戸だと思っていたが、そりゃあ僕の気のせいだったらしい。まあ、呑んで、食べて、語らうのには美味い酒、美味い肴、愉しい話が揃ってなきゃなんないからな。まあ、呑もう、呑もう」

 対酌、対酌と言い合っているうちに、いつの間にか一升を呑み干していた。

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