また朝が来る。こうして迎える何日目かの朝が。

 机の上のレーズンパンが食われたそうに湿気ていた。

 どうかするともうカビが生えかけているのかも知れない。

 冷めたカップの中のコーヒーは詰まらなさそうに俺を眺めていた。

 カップのコーヒーの表面には油膜が浮かび、そこに映った俺が俺を眺めていた。

 眠れない夜も、痛々しい朝も、鏡の中の滑稽な顔も、どれもこれも、みんな嫌いだ。

 それでまた酒を煽ってみた。

 十一歳の少年が、俺の手の平から笑いかける。俺も笑い、応える。

 十一歳の晴れた秋の日の写真の裡に生きる少年の心が泣いている。

 イガグリ頭の小さな顔の瞳の下に、小さな隈を拵えて笑っている。

 少年の瞳が笑っている。

 松林の端の黄ばんだ木漏れ日の下、彼は十一歳の晴れた秋の日を生きていた。

 黴臭いアルバムの裡に生きる少年達の未来が、無惨にも得体の知れない現実に飛散して行く。この得体の知れない現実に位置づけられる過去に十一歳の少年は生きている。無意味な表層とは裏腹に有意味にされた未来によって十一歳の少年は生きている。可能であった必然。必然であった未来。それとも、ただの空想?

 頭が疼く。骨の浮き出した拳骨で、カラカラの頭を殴る。何度か殴ると、調度良い具合に脳みそが座る。汚らしい膿汁が目から垂れ、ひりひり皮膚に沁みる。

 力と強盗の論理でやっつけ仕事を行う大人の背中は、情けないのだ。情けないだけの、その小さな小さな背中は、張り上げるしか無い弱々しい声音と、奴隷根性によって成り立っているのに違いなかった。

 そんな大人に成りたくなかった。大人に成る前に死んでしまいたかった。

「お前はどうだ。お前はどうなんだ。そんな大人ではないのか?情けないだけで、虚勢ばかり張っているそんな大人じゃあないのか?死んでしまうのではなかったのか?」

 毎分五十七拍。

 まだ大丈夫だ。グラスの酒を一気に呑み下す。味も香りも色もない。ただの酒。

 ただの酒を呑んでいる。急激にこの事実が俺に襲いかかる。その事実が酔いに忘れた頃に襲ってくる。ただの酒を呑んでいるのだ。

 この俺が。そしてまた酒が喉を落ちていく。落ちていく。

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