二
酒臭い汗がべったり身体を包んでいた。
カーテンの隙き間から、黄色の陽光が差し込み、埃がきらきらと踊るように光っている。
煙草を咥え、火をつけると、その隙き間を埋めるように煙草の煙が逃げて行く。
キャーという子ども悲鳴。がしゃんと物が壊れる音。その後で低い笑い声。
俺が狂っているのか。それとも世界が泣いているのか。
机の上の本に手をのばす。ページを開くがいっこうに頭に入らない。儀礼的に一文の終わり「ー故に、罪は無知である」まで読み、栞を挟み、本を閉じた。
わっと煩雑な思念の濁流が襲いかかる。身体を起こして「外へ出よう」と濁流の裏側でなんとか平静を保つ俺が言った。
シャワーを浴び、髪を乾かし、新しい服を着た。革靴を履き、家を出て、コンビニに入った。コンビニで500㎖のビールを買い、呑みながら歩いた。すべて一番冷めた俺の言う通りに行なった。そうでもしないとどうにかなりそうだから。
「どうにかって?」
「誰かが呟く」
「誰かってのは、つまり俺だ」
「人を殺してしまったり、死のうと思ってどこからか飛び降りたりするよりもっと悲惨なこと」
ビジョンが一瞬瞼の裏で弾ける。
赤。蠢く黒。それから、嘔吐物。黄色い内容。暗い蛍光灯。それから、冷たく輝く金属。
どこへ行くでもなく、酒臭い身体を歩かせた。
空は青く、生温い風が吹いていた。
白い陽は低く空を這い、呑んだばかりの酒が汗腺から溢れ出してくる。
そして路地の香りの中で、自分の辺りはまるで違ったもののように浮かび上がっていることに気が付く。
それくらいには冷静さを取り戻していた。それくらいにはいつもの俺が優勢を取り戻していた。
ジイジイと蝉が鳴きしきり、子どもたちの声が走り去って行く。
整備されていない自転車のブレーキが響き、オイルの汚れた車が燃え切らない煙を撒き散らしていった。
まるでどこにも俺などというものは無かったように平和だった。
俺の心のほかは、どこにも不幸せなど無いように穏やかだった。
茫漠とした不安が胸を占め、思い知る。
この日常が恐ろしかったのだ。何度も何度もそんな日があった。
そして、また来た。分かっていたが、また来た。なにもない。俺のほかになにも。なにもない。俺というものはなにも。なにもない。この酔いのほかになにも。
矛盾していた。まるで矛盾していた。俺は酔って移ろい、世界と薄れていく。
それがはっきりとした様態で、明確に順序だって世界に横たわっていた。
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