②
「こんばんわ、
四畳半の部屋に顔も見たことがない男の声が響き渡る。テレビを全く観ない僕は彼のことを全く知らなかったが、世間では割と名の知れた俳優らしい。
僕は枕元に置いた防災用のポータブルラジオから流れているそのラジオ放送を聴きながら、スマホの画面を縦にスクロールしていた。昨夜のうちにインストールしておいたバイト掲載アプリだ。もちろん正社員として雇ってくれる転職先を探してもよかったのだが、『すぐに転職するのではなく、一度じっくり自分自身を見つめ直す時間を作った方が天職を見つけられる』というネット記事を偶然見つけ、その言葉が腑に落ちた僕はひとまずアルバイトで生活を繋ぐことにした。
今時はどこも従業員の働きやすさが最重要視されているのか、『週一からでもOK!』とか『福利厚生も充実』など、ワークライフバランスに関するメリットが記載されている求人先も少なくない。ただ、結局僕は『稼げる!』という文言があれば無条件に食いつき、すかさずお気に入り登録してしまっていた。
「いやあ、それにしてもめでたいですねっ。実は今日、放送200回目を迎えたんですよー、拍手っ(パチパチパチパチ)。えー、2015年の4月から番組がスタートしまして、5年目にして200回目の放送を迎えた、ということで──」
スマホの画面に映るのはどれも時給換算の職場ばかりだった。『月給30万円も夢じゃないっ!』と謳っている求人先が目に留まったが、よくよく考えてみれば『月給30万円』を夢と設定しているあたり、そもそも夢がないではないか──と独り言のようにスマホに向かって文句を言いつつも、結局はそれら目に留まった求人先に片っ端からエントリーシートを送りまくっている自分がいた。
「初回放送の時にはまさかこの番組が5年も続くなんて夢にも思いませんでしたよ。ねえ、びっくりしますよ。いつの間にそんなに経っていたのかって……。時間の流れって早いですよねえ──」
僕が慣れ親しんだ田舎から大都会の地に飛び出す決意をしたのは、今からおよそ九年前、大学四年生の時のことだった。
当時の僕は人生を劇的に変えてくれるような出会いに憧れ、世の中に自分という存在を知らしめるための転機を求め、平凡でこれといった刺激もない現状が好転してくるれるんじゃないかと漠然とした期待を胸に秘めて、東京を中心に就活していた。
具体的に何がやりたかったのかと聞かれれば、正直答えられない。やりたいことなんて小さい頃からこれといってなかったし、小学三年生の時から続けていた野球も大学では同好会にしか入らず、プロを目指してやっていたわけでもなかった。
今になって思えば、きっと何でもよかったのかもしれない。ただ、とにかく僕は何者かになりたかったのだ──
だから初めて新宿の高層ビルに囲まれた街並みを目にした時には胸が躍った。初めて渋谷駅に降り立った時にはスクランブル交差点を無駄に三往復もしてしまった。ハチ公前で記念撮影をしている外国人観光客に声をかけて僕とハチ公のツーショット写真を撮ってもらったりもした。興味もないのに秋葉原のアイドルに会いに行ったりもした。
僕はわかりやすく浮かれていた。田舎にはないその煌びやかな街並みに、比べ物にならない人の多さに、待ち望んでいた刺激の数々に、僕は将来の成功を確信していた。東京に出てきて正解だった。ここには僕の求めていたものが全て揃っている。と、心の底から思っていた。
タワーマンションの高層階に住み、ベンツを乗り回し、可愛い女の子たちに囲われ、シャンパンを片手にジャグジーでくつろいでいる、そんな絵に描いたようなセレブな生活を絶対に手に入れてやる──
でも、現実はそう甘くはない。
これまでに僕は、大金をはたいて数々の自己啓発セミナーに参加してみたり、ビジネス書の中で『人のイメージは第一印象で決まる』というメラビアンの法則が紹介されれば次の日からハイブランドで身を固めてみたり、よくわからないパーティーに参加して人脈を広げようとしたり、と色々試してみたけれど、何一つとして上手くいった試しはなかった。そして、その結果として得られたものといえば八年間勤めた会社から受け取った退職金のみ。
自己投資に時間とカネをひたすら費やした結果がこれだ。たぶん損失総額を数えればざっと200万円以上はあるだろう。大したスキルや経験も得られないまま僕は自己投資という名の自己満足に溺れ、生活は着実に蝕まれていった。
上京したての頃に住んでいた八畳の1Kタイプのアパートも、二年後には七畳のワンルームに変わり、その一年後には六畳のワンルームに変わり、いつの間にかテレビもない今の四畳半の部屋に落ち着いていた。
気付いた時には、漠然とした大きな夢を見ていていいほどもう若くはなかった。このラジオ放送が終わる頃には僕は31歳になっている。何者かになりたい──なんてことをそう易々と口にしていられないことくらいは、周りの同世代を見渡せばなんとなくは理解できた。それに、なけなしの貯金と退職金しか持たない今の僕は、何者かになれる保証なんてほとんどないに等しいように思えた。
そんな現状に「ふざけるなっ」とやり場のない怒りを今すぐにでも発散させたいところだが、失業中の僕にはそんな愚痴を受け止めてくれる同僚もいない。いや、そもそも本音を言い合えるような同僚なんて元々いなかったじゃないか。日頃からセミナーで繋がった交友関係を優先するあまり、社内付き合いが悪かった僕はきっと同僚たちからも評判が良くなかったに違いなかった。
上京してきた頃から毎日欠かさず更新し続けていたブログも、フォロワーはたったの10人しかいないし、アクセス数は毎回一桁だし、コメントをしてくれるのはいつも男か女かもよくわからない素性不明のアカウント(たぶんそれも捨て垢、もしくは運営側のサクラ)だった。
まさか自分がリストラされるなんて思ってなかった。まだ昨日の今日のことで、心の整理はついていない。アルバイトはむしろ、何とか気を紛らわせるために始めようとしていたようなものだった。
もしかすると、僕のように何者かになりたいと渇望している人間ほど、案外丸腰でお先真っ暗な未来に飛び込んでいける強さを兼ね備えていないのかもしれない──
そんな教訓を得たとしても今更何の役にも立ちそうにない。とにかく今は、アルバイトでも何でもいいから、早急に何かしらの後ろ盾を付けないと落ち着かなかった。
「──さてさて、どうでしたか、200回目の放送は。とりあえず今度は300回放送を目指してまた来週から頑張っていこうと思います。ということで、最後までお付き合いいただいたリスナーの皆さん、ありがとうございました。ここまでのお相手は菅野将大でした。では、さよならっ」
そうこうしているうちに、いつの間にか二時間のラジオ放送が終わっていた。が、僕は相変わらず布団の上でスマホの画面とにらめっこを続けていた。
時刻はあと五分で誕生日を迎えるところまで迫っていた。
応募先からの返信はおそらく明日か明後日にでも送られてくるだろう。
僕は枕元の防災用ポータブルラジオの電源を切って仰向けになり、頭上に持ち上げたスマホ画面をしばらく眺めた後でようやくバイト掲載アプリを閉じた。するとその直後に一通のメッセージが届いた。
『誕生日おめでとう!』
相手は高校の同級生の
実に久しぶりの連絡に驚き、僕は二分ほど間を空けてそれに『ありがとう』と返信する。
するとすぐに新しいメッセージを受信した。
『土曜日の夜、空いてるか?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます