第4話 それでも僕は
僕は虫が苦手だ。間近に虫がいるのに気づいたりするとすぐ声を上げる。怖いことがあるとわりと簡単に泣く。面と向かって人と喧嘩をしたり、口論したりする勇気があるかと聞かれれば欠片もない。
それに、僕は女の子としてなら結構スタイルが良くて、顔も可愛い方だ。少し人に嫌われない努力をしていれば大抵の人には好いてもらえた。
山崎君みたいな男子に何度か告白されているくらいだ。他の女の子には悪いのだけれど、なるべく相手を傷つけないように、できる限り申し訳なさそうに『ごめんなさい!』と叫ぶのが僕の学校生活で一番の重労働だった。
僕が男子とつるめないのはそういうところに理由がある。以前、ちょっと男子と仲良さ気にしたくらいで、皆すぐ付き合っているとか付き合っていないとか噂し出した。僕達はまだ中学生の多感な少年少女な訳で、そういう噂はたまに面倒な厄介事を引き起こす。僕はただ少年漫画の話で盛り上がりたかっただけなのに。
本当はあっち側に混ざりたい。向こうの方が楽しそう。男子達が羨ましい。クラスの女子も、男子も、皆自分の居場所で自分らしく今を謳歌している気がする。僕は違う。いつも向こう側に憧れていて、こっち側に不満があって、今を無意味に潰している気がする。それがどうしようもなく虚しく悲しく感じることがある。
こんな体望んでなかった。けど皆が優しいのはそのおかげだ。本当のことを知ったら、僕のことを嫌いになるかもしれない。おかしな奴だと思うかもしれない。それがとても怖い。
だからといって、何もしなかった訳じゃない。
中学校に上がって、僕は長かった髪をショートにした。口調も「私」から「僕」に変えて、女言葉を使うのを止めてみた。僕にとっては精一杯の自己表現だ。誰かが気付いてくれるかもしれないという密かな期待があった。
結果は見当外れだった。なんとぼくっ娘キャラとして受け入れられてしまった。仕草があんまり女の子らしくないのも全部それで説明されてしまう。本当は不安もない訳ではなかったから、ほっとしている気持ちもあって、そんな自分が嫌になった。
真には、僕のことを下の名前でなくて、名字の方で呼ぶように頼んでみた。真は快く受け入れてくれた。でも、僕がどんな願いを込めてそんなことを頼んだのかというのには察しがつかないらしい。
どうして誰も気付いてくれないのだろう? 誰にも打ち明けていないのだから仕方のないことではある。それでもできるだけの努力はしているのに。
ちょっと考えればすぐに分かることだった。
僕が生来男らしい人間ではないからだ。
僕は臆病で、怖がりで、ヒロイックな勇敢さみたいなのにはとんと縁がない。
争うのが苦手で人に強く物を言えない。
運動やスポーツもあまり好きじゃない。疲れるのは嫌いだ。
料理とか、お菓子作りとかが好きで、誰かに自分の作ったのを食べてもらえると嬉しい。
すぐに思い浮かぶ自分の特徴を羅列してみたら、全然男らしくない。
強いてあげるなら、僕は少年バトル漫画が大好きだ。かっこいい戦士が強大な敵と死闘を繰り広げているところなんか、読んでいてぞくぞくする。でも、それだって今は男女の境界なんてあまりない。
僕は男らしくない。
なら男らしくなりたいかと聞かれれば、そういう訳でもない。自分のことを「俺」とか呼んでみたりしたら、いかにも男らしい。頭を五分刈りにしてみたり、サッカーとか野球とかのスポーツに親しむのもいい。あるいは男子と殴り合いの喧嘩なんてしたらかっこいいかもしれない。
僕はそういうことには興味がない。喧嘩なんか恐ろしくてできないというのもあるけれど、それだけじゃない。
今思いついたような諸々をやってみたら、僕は男らしくなれるかもしれない。
でも、それは決して「僕」じゃない。女の子の体が違うと感じるように、そうやって飾り付けた男らしさもまた「僕」ではない。
髪を短くしたり、口調を変えたりしたのは、そっちの方が「僕」にとって自然だったから。そういう意地の張り方が、僕の唯一の男らしさだと言えるのかもしれない。
時々疑問に思う事がある。
なるほど男らしさというのは、男の価値を測る便利な物差しかもしれない。
では、男らしくなかったら、男ではないのか?
僕は男ではないのか?
いいや、僕は男だ。
だって僕は自分を男だと感じているし、好きな子だって女の子だ。僕は谷村さんが好きだ。花形の飾りのついた髪ゴムがよく似合う谷村さん。今朝僕にかわいいなんて言ってくれたけれど、あの子の方がずっとかわいいと思う。
男らしくない男子だって沢山いる。遠藤君なんか、この前吉野君に変な言いがかりをつけられてべそかいてた。それでいて何も言い返さないしやり返さない。運動はからっきしだし、まともに女子と話せない。今朝だって、僕と喋る時の彼は片言の外国人みたいでおかしかった。昼休みにはノートを広げて絵を描いていることが多い。さり気なく覗いてみたら風景画だった。これだって男らしいかと言えばどちらでもない。
別に彼を貶したいなんて思わない。ただ、自分が普通に男子に生まれていたら、僕もあんな感じだったんじゃないかという気がする。だからなんとなく観察してしまうし、きちんと話してみたい気もする。きっと馬が合うだろう。でも周りの目が煩わしくて話しかけられない。
遠藤君は、男らしくはないかもしれない。
けれど彼のような男子が男でないと言う人はいないだろう。何故なら体が男であるというのは、目に見えて分かるほとんど揺るぎない指標だから。
しかし体が男でない僕は事情が違う。
女性の体を持つ僕が女性であることを否定したなら、周りの皆が僕の性を認識する基準はとても曖昧なものになる。
そういう時に使われる指標は、やっぱり「男らしさ」なのだろう。
僕が誰かに「自分は男だ」と言葉で告げても、それだけで信じてはくれない。僕の告白を受けた人は、きっと何か客観的な物差しを欲しがる。要するに男らしさとか女らしさとかだ。それで僕の性別を測って、結局は女の子だという結論に至ってしまいそうな気がする。口調と髪型を自分らしくしても男子みたいには見られなかったように。
女の子に恋をしているだけでは足りない。世の中には同性愛の人もいる訳だから、そういう風に勘違いされて終わってしまうだけかもしれない。あるいはちょっと風変わりなジョークとして流されてしまうかもしれない。そうなったら臆病な僕はもう何も言えない。
僕はそれが恐ろしく、そして寂しい。
「男らしいこと」と、「男であるかどうか」というのはきっと全然関係ないことなのに。
こんなのは杞憂で、人に打ち明けて見たら案外すんなり受け入れてくれるかもしれない。
だって僕はまだこの秘密を誰にも明かしていない。
あるいはその楽観的な考えこそが間違っていて、ただ絶望するだけかもしれない。
そういう堂々巡りを延々と繰り返している。
僕は中途半端な希望を胸に秘めたままで、これからも見えない孤独の中を過ごしてゆくのかもしれない。
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