第41話 シラジラジーラとパン屋の毎日(ジーラ視点)

 パン屋さんの朝は早い。

 日が出る早朝からせっせと体を起こし、朝食代わりにクッキーとインスタントコーヒーを口にする。


「……さあ、今日も一日頑張るぞ」


 自分ことジーラは頬を手で叩いて気合いを入れ、置き鏡のもう一人の自分に対して笑いかけてみたものの、想像しただけでキモいので笑うのを止めた。


 引きこもりで陰キャな自分に笑顔なんて似合わない。

 自分は永久に裏方でパン作りに勤しんだ方がいいと……。  


「……あーあー、急がないと間に合わない」


 玄関を飛び出した途端に優しいそよ風が鼻をくすぐる。

 風は寒くもなくて心地よく、春はもうすぐそこまで来ているサインでもあった。


 ──そう、季節の変わり目とは、雨が降って大地を濡らし、大きな風が吹くことにより大地が乾き、気温がジワジワと変わっていく。


 変に勿体ぶらずに、さっさと春が来ればいいのに。

 陰キャで行動するにもおどおどとした自分とは似合わない想いでもあった。


****


「……おっ、おはようございます」


 走ってきたせいで息も途切れ途切れで店の勝手口のドアをくぐる。

 開けた先には香ばしいパンの匂いで溢れていた。


「おはよう、ジーラ。昨日はよく眠れたかい?」

「……はい、宇宙ステーションで三回転宙寝返りをした夢を見ました」

「そうかい。それは楽しめたようだね」


 齢70を越えても元気な姿で、今でも現役なこのパン屋の女店長。

 白髪頭で顔もしわくちゃで見た目はおばあちゃんだけど、仕事はバリバリにこなし、自分との会話にもいい感じにノッてくる。


 店の仲間の話だと若い頃は他の飲食業の店長もやっており、その頃の経験を生かして独立し、このパン屋を立ち上げたとか。


 しかし、今までご飯ものが中心でパンという食には触れてこなかった店長は苦労を重ねて本場フランスに飛び、独学でオリジナルのレシピを習得して、このパン屋で再現したのだが、それがまた飛ぶように売れた。


 こうして小さかった物置小屋のような店舗は飛び抜けた売り上げのお陰で立派な店を構えるまでとなり、今では地方まで姉妹店があり、レッツ5号店まであるさまだ。


「さあ、ジーラ。今日も小麦粉を練ってみようか」

「……はい、アズーさん!」

「ホッホッホ。そんなにも気構えることもない。リラックスー、リラックスー」

「……はっ、はい!」

「パンも生き物なんじゃ。気楽にそして焦ることなく対面する。これは大事なことじゃ」

「……面接みたいなもの?」


 自分の言葉にアズーさんが無言で頷き、自分の前にひとさし指を立てる。


「確かにこれまでジーラが作ってきたのはお店には出せへん代物じゃった。じゃが一生懸命な心は詰まっていた」


 アズーさんは優しげな微笑みで自分の問いに答えてくる。

 詰まっていたのはアンコでもジャムでもクリームでもない。

 美味しく作る手腕だと。


「パンも生き物。真面目に心を通わせていれば必ず心に答えてくれる」

「ジーラは自分のパン屋さんを開きたいんじゃろ?」

「……はい、目指すは海外進出です!」

「なら焦るでない。結果はおのずと付いてくる」


 そう言うとアズーさんは奥の部屋に行ってしまう。

 あの先は来店したお客さんが食を嗜むカフェテラスでもある。

 今日は調理だけでなく、接客もするのだろうか。


「……自分も店長に負けないように頑張らないと」


 自分はパン生地を作りながら、昨日までの行程を思い浮かべながらパンと対面する。

 パン生地よ、おいしく美味しくなーれー。


****


「……いっ、いらっしゃい、ませ」


 一週間後、自分は厨房ではなく、例のカフェテラスの出入口に立っていた。


 アズーさんの話だとパン屋はパン作りだけでなく、それを食べてくれるお客さんとの接客も大事だと。

 むしろ、お客さんがいなかったらパン作りをする意味がないからと。

 ただ単に人が足りないわけでもないらしい……。


「こんにちはですわー‼」


 出た、陽気オーラ全開なキャピルンな乙女の声が‼

 店長は厨房なんだ。

 自分がやらねば誰がやる!

(※ここはパン屋です)


「……いいいい、いらさい‼」


 あわわ。

 肝心な接客で噛んでしまった。


「……おっ、お客さんは三名様でしたね」

「うん、そうやけど。あっ!」


 自分の目がお客さんと合う。

 その三人は自分の見知った顔触れだった。


「……み、みんな」

「ジーラやん、頑張っとる?」

「まさかこんなお洒落なカフェで働いていたなんて。リンカは驚きですわ」

「ここはSNS映えする料理が多いと有名ですもんね」


 三人とも一年くらいも会っていなかったせいか大人びて見えて、自分だけがいつまでも子供みたいで恥ずかしい。


「専門学校での授業の方も順調かいな?」

「……はい、みんなが勉強を教えてくれたお陰で入学できましたので」

「丸三日間は徹夜でしたもんね」


 ミクルが苦笑いをしながらコーヒーとハンバーガーを注文するが、食にしか関心が無かった彼女は一回りも大人な女性の素振りを見せてくる。

 これが現役な東大生の実力か。


「ジーラ、これからも頑張るのですよ」

「応援してるかんな」


 リンカたちから背中を押され、自分の中の何かが弾ける。


 そうか、この答えがアズーさんの言ってた、これがパンを通してお客さんとつうじることなんだ。

 そのことを教えてくれた仲間に感謝を込めて今日は自分が大奮発してあげるか。


「……今日は自分のオゴリです。存分に食べていって下さい」

「えっ、ガチで? ありがと♪」


 ケセラが喜びながらそれなりの値段がするデザートのチョコレートパフェを注文する。


 リンカはあんドーナツとキャラメルラテだ。


 そしてミクルはというと、メニュー表を指さしながら……こう言ったのだ。


「じゃあ、このメニューの最初から終わりまでのメニューを持ってきてくれませんかー?」

「おい、ミクル、そんなにも食えるのか?」

「……ううっ」


 やっぱり三人の中でもミクルはミクルのままだった。

 こりゃ、来月の給料が飛んだな……。


 でもこんな小さなことでへこたれたら、パン屋への道は永久に開けない!!


「……ミクル、遠慮なしでガンガン食べろ。自分のことなら心配するな」

「えへへ、ジーラさんは太っ腹ですね。私、デザートもいっちゃいますよ」

「……ああ、ミクルは親友だしな」


 ジーラは心の奥底に憎らしい感情を押し殺し、ミクルに握手を求める。


「この手は何ですか?」

「……いや、これも何かの縁かなと思って」

「ええ、そうですね。ジーラさんも分かってますね♪」


 ミクルと友好条約を結びながら思ったこと、それは出世払いという考えだった。

 だが、ジーラはお世話になっている店長に迷惑はかけたくないため、涙ながらに会計を済ますのであった……。


 ミクル、自分の優しさに感謝しなよ。


『タラララスッタンターン♪』


 この時、ジーラの男気が少しレベルアップしたような気がした。

 自分、こう見えても女の子なんだけど……。

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