劉牢之2 苻丕救援

淝水ひすいの戦いののちバラバラになった前秦ぜんしん。そのような中で旧前燕ぜんえんの都となっていたぎょうを、苻堅ふけんの子の苻丕ふひが守っていた。そこに慕容垂ぼようすいが押しかけ、我らの旧都を返還せよと迫る。苻丕は東晋とうしんに救援を依頼、劉牢之りゅうろうしが軍を率い出向くこととなった。


慕容垂は東晋軍が北上していると聞くと拠点としていた新城しんじょうを放棄、北方に逃れる。劉牢之は田次之でんじしとともに80 km ほどの追撃をかけ、五橋澤ごきょうたくに至った。そこには慕容垂軍が放棄したと思わしき輜重類が積み上げられていた。それなりの強行軍で疲弊し、物資も尽きかけていたのだろう。劉牢之の配下たちは争うように輜重類に食いつく。こうして隊列が乱れたところに慕容垂よりの襲撃を受け、劉牢之軍は殲滅レベルの損害を受けた。自身は単身馬に鞭打ち五丈澗ごじょうかんを飛ぶように渡り、なんとか脱出。苻丕が発した救援隊と合流し、臨漳りんしょう入りした。散り散りになった残存兵力をかき集め、なんとか体制を整える。


劉牢之はズタボロの兵を率いて帰還。まもなく龍驤將軍りゅうじょうしょうぐんとして淮陰わいいんを守ったが、やがて彭城ほうじょうに進出して守ることとなった。


劉黎りゅうれいと言う男が皇丘こうきゅうにて皇帝を自称。劉牢之は討伐に出、殲滅した。


前秦將の張遇ちょうぐうが軍を発し金鄉きんきょうを落とし、さらには羊邁ようまいの守る太山たいざんを包囲する。劉牢之は向欽之しょうきんしを向かわせる。しかしそこに、慕容垂から背いた翟釗てきしょうが出現。張遇の救援にあたった。劉牢之が兵を引く素振りを見せると、翟釗も兵を引く。そこにすかさず劉牢之は反転、一気に太山。翟釗を鄄城けんじょうまで追撃し、河北かほくにまで追い払った。そして張遇を捕獲、彭城に帰還した。


続いて司馬徽しばき馬頭山ばとうさんにて兵を集め、決起。劉牢之は竺朗之じくろうしを派出、殲滅した。


そうこうしているうちに、今度は慕容氏が廩丘りんきゅうの劫略に動く。高平こうへいを守る徐含遠じょがんえんが救援を求めてきたが、劉牢之の救援が間に合わず、「臆病風を吹かせた」かどで免官となった。




時苻堅子丕據鄴,為慕容垂所逼,請降,牢之引兵救之。垂聞軍至,出新城北走。牢之與沛郡太守田次之追之,行二百里,至五橋澤中,爭趣輜重,稍亂,為垂所擊,牢之敗績,士卒殲焉。牢之策馬跳五丈澗,得脫。會丕救至,因入臨漳,集亡散,兵復少振。牢之以軍敗征還。頃之,復為龍驤將軍,守淮陰。後進戍彭城,復領太守。祅賊劉黎僭尊號於皇丘,牢之討滅之。苻堅將張遇遣兵擊破金鄉。圍太山太守羊邁,牢之遣參軍向欽之擊走之。會慕容垂叛將翟釗救遇,牢之引還。釗還,牢之進平太山,追釗於鄄城,釗走河北,因獲張遇以歸之彭城。襖賊司馬徽聚黨馬頭山,牢之遣參軍竺朗之討滅之。時慕容氏掠廩丘,高平太守徐含遠告急,牢之不能救,坐畏懦免。


(晋書84-11)





五橋沢の戦いについては、完全に慕容垂に猪武者っぷりを見抜かれている感じですね。本人に軍略はあったんだろうけど、どちらかと言うと攻撃力寄りであり運営力、経営力には乏しい、と。敗戦パターンが桓温かんおん枋頭ほうとうにも近いのかなとは思ったんですが、桓温と比較すると、軍略眼があまりに狭いと言うしかない。まああんな化け物は、それこそ劉裕りゅうゆうクラスしかいないわけですが。


局所局所見てると、翟釗のあしらい方とかめっちゃクレバーなんですよね。最強の将と呼ばれるにふさわしい格はあるように思います。ただまぁ、繰り返しになりますが、戦術レベル、だったように思います。返す返すも運用がもったいなかったと感じられてなりません。




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