毛璩4  追贈

義熙ぎき年間、時延祖じえんそ始康しこう太守たいしゅとなると、益州えきしゅうのために戦い抜いた毛璩もうきょら兄弟の功績を改めて上疏。これを受け、安帝よりの詔が下された。



「亡き益州えきしゅう刺史ししの毛璩、西夷校尉せいいこうい毛瑾もうきん蜀郡太守しょくぐんたいしゅ毛瑗もうえん。彼らは王室がために激しき忠義心を示しつつも、その功績をこれまで省みられることがなかった。いま彼らの葬送の日が近付く中、この胸中に悲しみがいや増している。改めて彼らに追贈の検討されていた官位を与え、錢三十萬、布三百匹を下賜するものとする」


結果毛璩には桓玄かんげん打倒の功績から歸鄉公ききょうこう、食邑千五百戶が追封された。また手ずから桓玄を斬った毛祐之もうゆうし夷道縣侯いどうけんこうに封じられた。



毛寶もうほうから毛璩に至るまでの三世代に渡り、その軍功より開國の封爵を受けたものが四人あらわれた毛氏は將帥の家として、尋陽じんよう周氏しゅうしに匹敵する、と言ってよい。ただし個々人の才覚においては及ばなかった。


毛瑾の子である毛脩之もうしゅうしは清顯の官位を歴任し、右衞將軍うえいしょうぐんとなって劉裕りゅうゆう姚泓ようおう討伐に従軍、そのまま長安に安西司馬あんざいしばとしてとどまるも、を歴て北魏ほくぎにその身柄を連れ去られた。




義熙中,時延祖為始康太守,上疏訟璩兄弟。於是詔曰:「故益州刺史璩、西夷校尉瑾、蜀郡太守瑗勤王忠烈,事乖慮外。葬送日近,益懷惻愴。可皆贈先所授官,給錢三十萬、布三百匹」。論璩討桓玄功,追封歸鄉公,千五百戶。又以祐之斬玄功,封夷道縣侯。

自寶至璩三葉,擁旄開國者四人。將帥之家,與尋陽周氏為輩,而人物不及也。

瑾子脩之,頻歷清顯。至右衞將軍,從劉裕平姚泓。後為安西司馬,沒於魏。


(晋書81-9)




尋陽周氏

いまいち誰のことを指すのかわからない。周処しゅうしょらは呉興ごこうだし、周顗しゅうぎは汝南。尋陽県は廬江郡ろこうぐんなので、そうすると周瑜しゅうゆと同郡にはなる。ただし周瑜の本貫は舒県じょけんなので、ここも微妙にずれる。この将門、晋書に残ってないんじゃない?


→魏晋南北ブログ様よりのご紹介を頂戴しました。東晋はじめの名将である周訪しゅうほうと、子の周撫しゅうぶ周光しゅうこう、孫の周楚しゅうそ周仲孫しゅうちゅうそん、曾孫の周虓しゅうきょくのことを指すそうです。やっべ、この期に及んで名将枠に初耳がいるとかどういうこと……?


毛修之

まー劉裕の部下だし、当然宋書です。

こちらにどうぞ。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891500185/episodes/1177354054892456514

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