毛璩1  毛珍

毛寶もうほう、字は碩真せきしん滎陽けいよう陽武ようぶの人だ。石虎せきこが暴れまわっていた頃の武将で、後趙こうちょう軍がちゅを攻め落としたとき、戦死した。子が二人いた。毛穆之もうぼくし毛安之もうあんしである。


毛穆之、字は憲祖けんそ。息子の毛球もうきゅうとともにしょくを占拠していた前秦ぜんしん軍の討伐に向かい、巴西はさいにまで進んだのだが、兵糧が不足したため巴東はとうにまで後退。そこで陣没した。中軍將軍ちゅうぐんしょうぐんが追贈され、れつと諡された。


子の毛珍もうちんが爵位を継ぎ、天門太守てんもんたいしゅに至った。弟に毛璩もうきょ、毛球、毛璠もうはん毛瑾もうきん毛瑗もうえんがいた。毛璩が最も有名である。


毛璩、字は叔璉しゅくれん。加冠して間もなくの頃、桓豁かんかつ參軍さんぐんとなった。それから間もなくして父の訃報を受け、喪に服した。服喪が明けると謝安しゃあんの参軍となった。一度尚書郎しょうしょろうに任じらたが、謝安に請われ再び參軍となった後、謝琰しゃえん司馬しばに転じた。淝水ひすいの戦いでは逃げる苻堅ふけんに追撃を掛け、田次之でんじしとともに中陽ちゅうようまで追ったものの取り逃がし、撤収した。寧朔將軍さくねいしょうぐん淮南太守わいなんたいしゅに遷り、すぐに鎮北將軍ちんほくしょうぐんである司馬恬しばてん司馬しばとなった。


この頃、海陵縣かいりょうけんの県境近くにある青蒲せいほという四方を湖や澤に囲まれ、みっしりと菰や葑と言った草が生えている地があった。この地には多くの亡命者が逃げ込んでおり、権威も指令も届かないありさまであった。毛璩は千人を率い討伐するべく建議。この頃日照りがひどかったため、毛璩はこの地に火を放ち、菰や葑を焼き尽くした。亡命者たちは追い詰められ、ついにはことごとくが毛璩のもとに降伏。一万世帯近くがそこにはおり、みな兵戸として組み込まれた。朝廷はこれを祝福した。西中郎にしちゅうろう司馬しば龍驤將軍りゅうじょうしょうぐん譙梁しょうりょう二郡內史にぐんないしとなった。間もなくして郭銓かくせんの代わりに建威將軍けんいしょうぐん益州刺史えきしゅうししとなった。




毛寶字碩真、滎陽陽武人也。石季龍攻邾城,寶死。二子、穆之、安之。穆之字憲祖、穆之與球伐堅、至于巴西郡、以糧運乏少、退屯巴東、病卒。追贈中軍將軍、諡曰烈。子珍嗣、位至天門太守。珍弟璩・球・璠・瑾・瑗、璩最知名。

璩字叔璉。弱冠、右將軍桓豁以為參軍。尋遭父憂。服闋、為謝安衞將軍參軍、除尚書郎。安復請為參軍、轉安子琰征虜司馬。淮肥之役、苻堅迸走、璩與田次之共躡堅、至中陽、不及而歸。遷寧朔將軍・淮南太守。尋補鎮北將軍・譙王恬司馬。海陵縣界地名青蒲、四面湖澤、皆是菰葑、逃亡所聚、威令不能及。璩建議率千人討之。時大旱、璩因放火、菰葑盡然、亡戶窘迫、悉出詣璩自首、近有萬戶、皆以補兵、朝廷嘉之。轉西中郎司馬・龍驤將軍・譙梁二郡內史。尋代郭銓為建威將軍・益州刺史。


(晋書81-6)




また河東さんが反応しそうな名前がいる(’・ω・)

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