桓伊5  末期の上表

桓伊かんいは馬や步兵の鎧を六百領所持しており、死期を悟った段階で上表を準備していた。桓伊の死後、その上表が孝武帝の元に届けられた。


「臣の身に余る寵遇を賜り、西方を守る大任をお預かり致しました。淮南の勝利にて敵兵が北方に逃れるにあたり、人馬の器鎧が箇所箇所にうち捨てられておりました。これらを回収こそしておいたものの、その多くが破れほつれ、多くが実用に耐えませんでした。そこでこれらをすべて修繕致しました。いま天下が再び陛下のもとに帰したとは申せ、未だ各地で火種がくすぶっております。臣は老いて往事の気力をふるいきれなくもなっておりますが、なおも力を尽くし陛下の命に応じんと心しております。我が思いが永遠に断たれてしまったのでは、死して後悔を残すこととなりましょう。ここに謹んで馬の具裝百具、步鎧五百領を奉ります。これらはすべて尋陽じんようにございますので、これらを配下兵らにお与えください」


この上表に対し、孝武帝は以下のように応じた。

「桓伊の忠誠心が全うされなかったことをまこと痛ましく思う。その防具類は確かに受け取ることとする」

子の桓肅之かんしゅくしがあとを継いだ。死亡すると子の桓陵が継いだ。そうが立つと、国は除かれた。


桓伊の弟の桓不才かんふさいもまた將略を有しており、孫恩そんおん討伐にあたり冠軍將軍かんぐんしょうぐんとなった。




初、伊有馬步鎧六百領、豫爲表、令死乃上之。表曰、「臣過蒙殊寵、受任西藩。淮南之捷、逆兵奔北、人馬器鎧、隨處放散。于時收拾敗破、不足貫連。比年營繕、竝已修整。今六合雖一、餘燼未滅、臣不以朽邁、猶欲輸效力命、仰報皇恩。此志永絕、銜恨泉壤。謹奉輸馬具裝百具、步鎧五百領、竝在尋陽、請勒所屬領受。」詔曰、「伊忠誠不遂、益以傷懷、仍受其所上之鎧。」子肅之嗣。卒、子陵嗣。宋受禪、國除。伊弟不才、亦有將略。討孫恩、至冠軍將軍。


(晋書81-5)




これ、おそらく淝水が終わって間もなくにしたためたんでしょうね。で、大事に抱えていた。ほんにこのお方は、最期の最期まで完璧すぎる……

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