王献之2 與郗家離婚

謝安しゃあんの死亡後さほど時を置かず、王獻之おうけんしもまた重病にかかった。家族らは今後どのように家を切り盛りすべきかを問う。王献之がその主要項目を上げたとき、ふと話が王献之に思い残したことはなにかないかとの質問が飛んだ。王献之は答える。


「余計なことをいちいち覚えてはおらんさ。ただ思うのは、郗家ちけと離婚してしまったことかな」


王献之は孝武帝こうぶていからの命令で、はじめ結婚していた郗曇ちどんの娘、郗道茂ちどうもと別れさせられ、孝武帝の娘をめあわされていた。このことから郗氏との関係がこじれたそうである。


間もなくして、官位をおびたまま死亡。安帝あんていに王献之の娘がめあわされたことから、王献之には侍中じちゅう特進とくしん光祿大夫こうろくたいふ太宰だざいが追贈され、けんと諡された。男児がいなかったため、兄の子の王靜之おうせいしが爵位を継ぎ、義興太守ぎこうたいしゅとなった。


さて、王献之と言えばその書である。当時の評論家たちは王羲之おうぎし草書そうしょ隸書れいしょの腕前に、東晋の歴代書家で敵うものはいない、としていた。王獻之もまたその例にもれず、その字が持つ芯の力は父に遠く及ばない、とされた。ただし、そこには得も言えぬ艶やかさを帯びていた、と評された。桓玄かんげんはつねづねこの親子の書を愛しており、それぞれの書を掛け軸に垂らし、左右において、書の手本としていたという。




未幾,獻之遇疾,家人為上章,道家法應首過,問其有何得失。對曰:「不覺餘事,惟憶與郗家離婚。」獻之前妻,郗曇女也。俄而卒於官。安僖皇后立,以后父追贈侍中、特進、光祿大夫、太宰,諡曰憲。無子,以兄子靜之嗣,位至義興太守。時議者以為羲之草隸,江左中朝莫有及者,獻之骨力遠不及父,而頗有媚趣。桓玄雅愛其父子書,各為一袠,置左右以翫之。


(晋書80-4)




■斠注


桓玄雅愛其父子書、各爲一袠、置左右以翫之。

『法書要錄』には「獻之嘗與簡文帝書十許紙,題最後云:下官此書甚合作,願聊存之。此書爲桓玄所寶,玄愛重二王,不能釋手,乃撰縑素及紙書,正行之尤美,者各爲一帙,嘗置左右。及南奔,雖甚狼狽,猶以自隨。將敗,竝沒于江。」とあります。

王献之が簡文帝に十枚ほどの紙の手紙をもたらしたそうです。そこの末尾には「下官わたくしの書いたこれは、実に我が意に沿うものでした。どうか捨てずお取り置きくださいませんでしょうか」と書かれていたそうです。後日大権を握り、簒奪まで果たした桓玄。彼は発見したこの書を大事な宝物としたそうです。もともと桓玄は王羲之王献之親子の書を愛し重んじていたため、その書を手放すことがどうしてもできませんでした。このため織物や紙に書かれたそれらの書を選び出し、特に正書行書のうち美しいものをそれぞれ掛け軸としてぶら下げ、つねに左右に置いていました。劉裕りゅうゆうに攻められ逃れようとするとき、桓玄は大慌てになりながらもこの掛け軸を持ち去ろうとします。いよいよ敗亡しようかというとき、この掛軸はともに長江に沈んだそうです。


なんかタイムライン適当じゃないこの話?

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