王献之1 高邁不羈

王羲之おうぎしの末っ子、王獻之おうけんし。字は子敬しけい。幼い頃より名声高く、ただしその高邁さで俗人を寄せ付けることもなかった。日がな一日家にこもりっぱなしなこともあったが、倦まず自身を高め続けており、その風流さはついには当時の第一人者と呼ばれるに至った。


謝安しゃあんが死亡したとき、どのような追贈官位をもたらすべきかの議論が紛糾した。その中で王獻之と徐邈じょぼうは一貫して謝安の功績及び忠誠心を主張し続けた。中でも王献之は以下のように上疏している。


「故太傅たいふの臣安は若きには玄風を振るわせ、道の境地に達したものとしての栄誉に満ち満ちておりました。加冠して間もなくには隠棲をし、自らのその光り輝く内面を磨き上げになった。時運に乗りついに士官なされたは良いものの、このときお国のはかりごとは行き詰まっておりました。しかしやがては大いなる霊威に載り、凶猛なる胡族を破砕。その不動の功績を確かとされるも、あくまでその功績に居座ろうとはなされず、常に高邁なる謙譲の思いを胸に抱かれておりました。また簡文帝陛下に仕えておられた頃よりの思いを貫かれ、庶民の繁栄に心砕かれておりました。陛下が即位なされたときにはまだまだお若くいらっしゃったことより、そのお心、お知恵を振り絞り陛下の清明さをお助けせんとなされました。そのあくまで表に出ず、水面下にて陛下のため奔走されたお姿は、まことこの大晉の誇るべき優れた宰相と申すべきであり、その道義心は過去の名臣たちにも優ると考えます。伏して思いまするに、陛下におかれてはかの宗臣を心に深く留め置かれるべく、その追贈内容についても重に検討いただかれますよう」


このため孝武帝こうぶていも謝安に対して、格段の追贈措置を執った。




獻之字子敬。少有盛名,而高邁不羈,雖閑居終日,容止不怠,風流為一時之冠。及安薨,贈禮有同異之議,惟獻之、徐邈共明安之忠勳。獻之乃上疏曰:「故太傅臣安少振玄風,道譽洋溢。弱冠遐棲,則契齊箕皓;應運釋褐,而王猷允塞。及至載宣威靈,強猾消殄。功勳既融,投韍高讓。且服事先帝,眷隆布衣。陛下踐阼,陽秋尚富,盡心竭智以輔聖明。考其潛躍始終,事情繾綣,實大晉之儁輔,義篤於曩臣矣。伏惟陛下留心宗臣,澄神於省察。」孝武帝遂加安殊禮。


(晋書80-3)




贈禮有同異之議,惟獻之、徐邈共明安之忠勳。

この書きぶりからするに、忠勳に疑義を呈する勢力がかなり大きかったのでしょうね。言うまでもなく司馬道子しばどうしだとは思いますが、ただ謝安の功績ってもしかしたら劉裕によって高められたんじゃって気もしなくはないんですよね。「外征で権威を高めた」劉裕にとり、外征をなさんとして志半ばとなった謝安は大いに称揚すべき対象でしょう。なら謝安の孫を禅譲の儀式に際して抜擢したのにも納得がいきます。まぁ自身は別の孫殺してるけどな!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る