范寧1  范曄の祖父

范汪はんおう、字は玄平げんへい雍州刺史ようしゅうしし范晷はんしょの孫だ。父は范稚はんち、夭折した。いろいろあって丹陽たんようにある自宅に引きこもり、そこで経学の研究に努めた。63 歳で、家にて死んだ。散騎常侍さんきじょうじが追贈され、ぼくと諡された。長子の范康はんこうが爵位を継承したが、最も有名なのは次男の范寧はんねいである。


范寧、字は武子ぶし。若い頃より学問を篤くし、多くの書籍を通覧していた。中書侍郎ちゅうしょじろうに任じられると、職務において多くの献策、諫言をなし、統治に大きく寄与した。


この頃皇帝の先祖を祀らんとする霊廟を新規に造営するという話が出、これらの根拠となる祭祀絡みの経文が求められた。ここで范寧が多くの経典や左伝等の文を列挙し奏上、また確かに祭祀の依拠とするに足るものであった。


孝武帝こうぶていは常日ごろより文學を愛好していたため、范寧に大いに親愛を寄せていた。朝廷での議論に疑問点が生じると、自ら范寧の元に赴き、相談するほどであった。このとき范寧は朝士たちの落ち度をズバズバと、一切のはばかりもなしで指摘した。




范汪,字玄平,雍州刺史晷之孫也。父稚,蚤卒。家於丹陽,猶勤經學,終年不輟。年六十三,卒於家。時年六十五,卒於家。贈散騎常侍,諡曰穆。長子康嗣,早卒。康弟寧,最知名。寧字武子。少篤學,多所通覽。拜中書侍郎。在職多所獻替,有益政道。時更營新廟,博求辟雍、明堂之制,寧據經傳奏上,皆有典證。孝武帝雅好文學,甚被親愛,朝廷疑議,輒諮訪之。寧指斥朝士,直言無諱。


(晋書75-12)




范汪、范寧、それと息子の范泰はんたいの三代はいずれも朝廷に重んじられた存在なんですよね。特に范泰は劉裕りゅうゆうの側近として親愛を受けたとされます。そして更にその息子が、後漢書ごかんじょを編んだ范曄はんよう。こうして先祖たちと並べてみると、范曄って「上の世代の者たちはみな朝廷の重鎮であったのに、何故俺だけ」と、自らの素行不良を棚に上げてやさぐれ、そのせいでさらに貶められるわけですが。劉義隆りゅうぎりゅうに「お前の文章の腕だけは買ってんだからあんまおいたすんじゃねえぞ」って言われても、范曄的にはまぁ納得いくものでもなかったのでしょう。こっちとしては知らんがなですが。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054895306127/episodes/1177354054921432955


まぁ、注目に値する一族ではあると思うのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る