道子元顕13 富過帝室

司馬元顯しばげんけんには良き師も友もおらず、正論には聞く耳も持たず、阿諛追従ばかりを聞き入れていた。あるものは司馬元顕を一時の英傑と言い、あるものは風流のきわみだなどと言い出す。このため司馬元顕は自らを天下無敵と思い込むようになり、驕慢奢侈のたぐいは日増しに加速した。


安帝あんていもまた司馬元顕を良き扶翼の臣であると思い、司馬元顕を産んだりゅう氏を司馬道子しばどうしの正夫人の位に引き上げ、金章紫綬を与えた。


洛陽らくようが陥落したところで、司馬道子は再び歴代晋帝の陵墓が胡族の手に落ちたことを理由に章綬を返還し、会稽かいけいに引退したいと言い出したが、認められなかった。


孝武帝こうぶていの母、李陵容りりょうようが死亡すると、司馬道子を輿にのせ入殿するよう命じられた。司馬元顯は禮官をそそのかして発議を下し、自らの権威が高まり、既に百官を束ねていることを理由に、自身に対して崇敬を集めるよう命じた。これによって公卿らはみな司馬元顕に拝礼した。


この頃何かと軍を動かすことが多くなっており、司徒以下の官吏からは政務運用のための資産が尽き始めていた。そこで一日七升の食費が与えられるようになっていた。しかし司馬元顯の下々からの接収は留まるところを知らず、その富は帝室のそれを上回るようにすらなっていた。


謝安しゃあんの息子である謝琰しゃえん孫恩そんおんによって殺されると、司馬元顯は徐州じょしゅう刺史の兼務を要請、侍中、後將軍、開府儀同三司、都督十六州諸軍事を加えられ、息子の司馬彦璋しばげんしょう東海とうかい王に封じた。この頃天体に異常があり、司馬元顕は錄尚書事の解職を求めたが、間もなく尚書令を加えられた。




元顯無良師友,正言弗聞,諂譽日至,或以為一時英傑,或謂為風流名士,由是自謂無敵天下,故驕侈日增。帝又以元顯有翼亮之功,加其所生母劉氏為會稽王夫人,金章紫綬。會洛陽覆沒,道子以山陵幽辱,上疏送章綬,請歸籓,不許。及太皇太后崩,詔道子乘輿入殿。元顯因諷禮官下議,稱己德隆望重,既錄百揆,內外群僚皆應盡敬。於是公卿皆拜。于時軍旅薦興,國用虛竭,自司徒已下,日廩七升,而元顯聚斂不已,富過帝室。及謝琰為孫恩所害,元顯求領徐州刺史,加侍中、後將軍、開府儀同三司、都督十六州諸軍事,封其子彥璋為東海王。尋以星變,元顯解錄,復加尚書令。


(晋書64-17)




司馬元顕の駄目な子っぷりが加速する……王恭撃退が、悪い意味での成功体験だったわけですなあ。

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