道子元顕14 桓玄迫る

孫恩そんおんの乱は猖獗をきわめ、その軍勢が遂に京口にまで迫る。司馬元顕しばげんけん石頭城せきとうじょうの周囲に柵を設け、孫恩軍を防ごうとしたが、その戦況は芳しくない。司馬道子しばどうしに至っては手立てらしい手立ても見いだせぬまま、蔣侯しょうこう廟、要は土着の神に祈りを捧げ、孫恩軍が消え去るなり敗れるなりしてほしいと祈るばかりであった。


間もなくして孫恩軍が兵を引き、北海ほっかいに脱出した。この頃荊州けいしゅうでの統治を固めていた桓玄かんげんは、孫恩撤退に際し、司馬道子に宛てて手紙を送ってよこす。


「賊が建康けんこう近郊に迫るも風に阻まれ進めず、雨に阻まれ火を放てず、そして食糧問題で撤退した、との由。すなわち、撃退が叶った、というわけではございませぬ。先に王國寶おうこくほうが処刑された折には、王恭おうきょうも敢えて朝廷に乗り込み、政を恣にしようとは致しませんでした。これは殿下を侮るわけにはゆかぬという思いからであります。すなわち非忠ゆえのふるまいであった、と申せましょう。

さて、ではいま殿下のもとには、どれだけ純粋な忠心ゆえに従っているものがおりましょうや? 佳きもの勝れたものがいると断言が叶いましょうや? どこまで彼らを信頼しきれましょうや? 道理に基づいて動くものであれば信義を期待することも叶いましょう。しかし利益を求めて付き従うものに対し、その先に損害が待ち受けているとわかってなお、殿下は信任を置くことができますか?

殿下がそのような体制を築かれたからこそ、あっという間に孫恩どもに都を脅かされるに至ったのです。宰相とは国のバランスを保つもの、その職務の重要さなぞ、言葉ではいくらでも語れましょうが、富や栄誉が簡単に手に入る一方、その肝要を外せば、たちまち災いを招くに至るのです。

いま朝廷にいるもので、どれだけのものがお国のための志を抱いておりましょうか? ただ害がその身に及ぶのに恐れているだけではございませんか?

この桓玄、かたじけなくもお役目を賜り、遠方にその身を置いてこそございますが、故にこそ事実を目の当たりとしたため、こうしてお伝えすべく筆を執った次第です」


この手紙を受けて震え上がったのは、司馬道子ではなく、司馬元顕であった。





會孫恩至京口,元顯柵斷石頭,率兵距戰,頻不利。道子無他謀略,唯日禱蔣侯廟為厭勝之術。既而孫恩遁于北海,桓玄復據上流,致箋于道子曰:「賊造近郊,以風不得進,以雨不致火,食盡故去耳,非力屈也。昔國寶卒後,王恭不乘此威入統朝政,足見其心非侮於明公也,而謂之非忠。今之貴要腹心,有時流清望者誰乎?豈可雲無佳勝,直是不能信之耳。用理之人,然後可以信義相期;求利之徒,豈有所惜而更委信邪?爾來一朝一夕,遂成今日之禍矣。阿衡之重,言何容易,求福則立至,幹忤或致禍。在朝君子,豈不有懷,但懼害及身耳。玄忝任在遠,是以披寫事實。」元顯覽而大懼。


(晋書64-18)




桓玄さん、さらっと阿衡とか言い出しちゃうあたりまじ世説新語の世界の住人。ちなみにいん湯王とうおうを支えた伊尹いいんが呼ばれた役目です。ざっくり字義を取れば、王のかなり近いところ、「阿〜」=「〜くん」と呼ばれるような立場にあって、「衡」=バランスをとる立場、と言った感じになるでしょうか。あってる? しらんけど。


まあこの言葉は引用というよりはもはや慣用の世界っぽいですから、あんまり湯王まで連想してみても仕方がなさそうですね。あえて司馬道子に伊尹をオーバーラップさせる意義もありませんもの。伊尹なら司馬曜しばよう廃せやコラってなるし。あ、けど司馬徳宗しばとくそうは廃しても良かったかも? まぁそこで早めに司馬徳文しばとくぶんが就いたところで、いまさら司馬徳文が宣帝になれる未来はなかったでしょうけど。

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