道子元顕12 西府填湊

司馬元顕しばげんけんが懸命に盛族の切り崩しに奔走する一方、司馬道子しばどうしは体調を崩そうがお構いなしに痛飲、酔いどれていた。もはや司馬道子に輿望なしと見てとった司馬元顕、はかりごとをなして司馬道子より権力をすべて奪い取った上、安帝あんていに働きかけてその揚州刺史および司徒の官職も剥奪させた。司馬道子は自身が解職されたことにも気付かないありさまであった。


司馬元顕は幼少の身にありながらにして皇帝のそばで大権を握ることとなり、批判は避けられないものと認識する。そこで安帝の弟の司馬徳文しばとくぶんに司徒を兼務させ、自らは揚州刺史のみを引き受けた。司馬道子が酔いから覚め、解職の顛末を知って大いに怒ったが、もはや司馬道子は何もできなかった。


この頃廬江ろこう太守となっていた張法順ちょうほうじゅんには法務を司る才能があり、このため司馬元顕の参謀となっていた。張法順はまた司馬元顕一派と呼べる私党を組んだ。ここには桓謙かんけんをはじめとした、多くの貴顕の一門たちが加わりたいと申し出てきた。


司馬元顕の才能は確かなものだったが、一方で苛烈な性格で、配下を生かすも殺すも思うままであった。張法順がしばしばその苛烈さを諌めたが、聞き入れない。また建康より東、長江下流域あたりで奴隷身分から解放された者たちを引き入れて樂屬がくしょくと名付け、建康に引き入れ、兵役に充てた。人手を奪われた東部地域では猛然とした怒りが立ち上がり、人々は司馬元顕からの徴発に耐えきれず、苦しんだ。


孫恩そんおんは、こうした政治不順による不満をもとにして立ち上がったのである。孫恩討伐のため司馬道子に征討総督として黃鉞が与えられ、司馬元顯がその直轄軍の指揮官となり、討伐に向うこととなった。このとき司馬元顯には錄尚書事が加えられた。

しかし司馬道子は相変わらずの痛飲ぶりであり、政務は何から何まで司馬元顕に丸投げという状態。この頃司馬道子更が東錄とうろく、司馬元顕が西錄せいろくと呼ばれていた。尚書事を錄す二人が東西に分かれる、いった意味合いである。ここで司馬元顕のいる西府には車や馬が押し寄せ、司馬道子のいる東第では閑古鳥の入るべきかごがカラカラと音を立てるのみだった。




會道子有疾,加以昏醉,元顯知朝望去之,謀奪其權,諷天子解道子揚州、司徒,而道子不之覺元顯自以少年頓居權重,慮有譏議,於是以琅邪王領司徒,元顯自為揚州刺史。既而道子酒醒,方知去職,於是大怒,而無如之何。廬江太守會稽張法順以刀筆之才,為元顯謀主,交結朋援,多樹親黨,自桓謙以下,諸貴遊皆斂衽請交。元顯性苛刻,生殺自己,法順屢諫,不納。又發東土諸郡免奴為客者,號曰「樂屬」,移置京師,以充兵役,東土囂然,人不堪命,天下苦之矣。既而孫恩乘釁作亂,加道子黃鉞,元顯為中軍以討之。又加元顯錄尚書事。然道子更為長夜之飲,政無大小,一委元顯。時謂道子為東錄,元顯為西錄。西府車騎填湊,東第門下可設雀羅矣。


(晋書64-16)

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