八王裔1 司馬亮

司馬亮しばりょうの孫、汝南じょなん司馬祐しばゆう。字は永猷えいけん。326 年に死亡し、侍中、特進を追贈された。


子の司馬統しばとうが立ったが、その大叔父である司馬宗しばそう(司馬亮の四男)が謀反を起こし、廢された。その後、成帝は司馬亮の一門が滅んでしまったことをあわれみ、司馬統を改めて王位に封じた。秘書監、侍中に累進し、死亡した。光祿勳が追贈された。


子の司馬義しばぎが立ち、散騎常侍に至り、死亡した。


子の司馬遵之しばじゅんしが立った。劉裕によって安帝が復位して間もなくの頃、梁州りょうしゅう刺史の劉稚りゅうちが謀反を起こし、司馬遵之を主賭して推戴しようとした。計画が漏れ、処刑された。弟の司馬楷之しばかいしの子である司馬蓮扶しばれんふが立った。宋が簒奪をなすと、王位を廃された。




祐字永猷。咸和元年,薨,贈侍中、特進。子恭王統立,以南頓王宗謀反,被廢。其後成帝哀亮一門殄絕,詔統復封,累遷秘書監、侍中。薨,追贈光祿勳。子義立,官至散騎常侍。薨,子遵之立。義熙初,梁州刺史劉稚謀反,推遵之為主,事泄,伏誅。弟楷之子蓮扶立。宋受禪,國除。


(晋書59-1)




五馬渡江、と呼ばれる事績があります。司馬氏宗族のうち五人が長江を渡り、東晋にて根を張ることができた、と言うもの。そのいかれたメンツを紹介するぜ!

 司馬睿しばえい(元帝)

 司馬羕しばしょう(司馬亮の子)

 司馬宗(司馬亮の子)

 司馬祐(司馬亮の孫)

 司馬雄しばゆう司馬懿しばいの弟の玄孫)


あれっ五馬渡江のメンツの中に司馬休之しばきゅうしの先祖がいない!? 調べてみると司馬休之の先祖、司馬承しばしょうは別口のルートで東晋入りしたようなのです。「一緒に長江を渡っていない」からメンツに含まれていないんですね。


それにしても司馬亮の系統が結構残ってるの、どれだけ彼が八王の乱においてとばっちりだったのかってのを示している感があり素敵ですね。

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