西晋裔2 庾珉

東晋とうしんを席巻することになる庾亮ゆりょうの家門は、西晋でも栄えていた。特に叔父筋になる庾珉ゆみん、字子琚しきょの名はよく知られていた。性格は温和にして学問を好み、一方で己の立てたポリシーに対しては一途だった。若い頃から散騎常侍や本國中正、侍中を歴任し、長岑ちょうきん男に封じられた。


しかし、懷帝かいてい劉聡りゅうそうらによって連れ去られると、庾珉もまた平陽へいように連行された。劉聡が宴を開けば、懐帝はそこで給仕の真似事をさせられる。君主に対する愚弄に対して庾珉は堪えきれなくなり、幾度か懐帝より酒を注がれれば、ついには大声を上げ、哭泣。当然劉聡らにとっては不愉快この上ないふるまいである。


ある日、庾珉や同僚の王儁おうしゅんらのもとには、劉琨りゅうこんとともに決起をしないか、と告げるものが現れる。この動きを察した劉聡はすぐさま懐帝を殺し、合わせて庾珉らも殺した。


洛陽らくようが未だ陥落していなかった頃、庾珉は宮廷に宿直していた。その時、ともにいた許遐きょかに「この世情であれば、もはや禍難も免れ得まいな。ならば、わしはこの館の中で死にたいものよ」と語っていた。しかしその結果が、敵地で殺されることであった。


太元たいげん年間の末、ていと追贈された。




瑉字子琚。性淳和好學,行己忠恕。少曆散騎常侍、本國中正、侍中,封長岑男。懷帝之沒劉元海也,瑉從在平陽。元海大會,因使帝行酒,瑉不勝悲憤,再拜上酒,因大號哭,賊惡之。會有告瑉及王儁等謀應劉琨者,元海因圖弑逆,瑉等並遇害。初,洛陽之未陷也,瑉為侍中,直於省內,謂同僚許遐曰:「世路如此,禍難將及,吾當死乎此屋耳!」及是,竟不免焉。太元末,追諡曰貞。


(晋書50-1)




太元年間の末と言えば、後秦後燕がどんどん脅威を増していた頃。その背景に国威掲揚があるのは間違いないとは思いますが、ではどんな理由で庾珉が選ばれたのか。このへんのロジックは気になるところなので、ぜんぜん時代にかすらないけど残しておきます。庾氏って庾亮世代が退場すると一気に発言力落としてる印象はあるんだけど、そこはやっぱり当時の忠義を尽くした名士であることが優先なのかなあ。


あと原文中では劉元海、つまり劉淵りゅうえんが懐帝をいじめたことになってますが、この頃劉淵は死んでいるので劉聡に書き換えてます。これ、庾氏家伝には劉淵って書かれてたってことなんでしょうね。それをチーム晋書が事実に合わせて書き換えなかったのは、天然なのか、わざとなのか。後者でありそうな気配はするんですが、ここに探偵ごっこをしてみても現段階じゃ得るところもないので、とりあえず問題として棚にのっけときましょう。

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