晋書巻39~ 西晋名士の子孫

西晋裔1 王沈荀顗

王沈おうしんおよび王浚おうしゅん、そして荀顗じゅんぎの家門祭祀についてだ。


王崇之おうすうし。王沈の宗族である。

王沈、字は處道しょどう太原たいげん晉陽しんよう県の人だ。司馬炎しばえんが皇帝となったとき、その佐命功臣として驃騎將軍、錄尚書事となり、散騎常侍を加えられ、洛陽らくようの城外にまつわる諸軍事を統括した。博陵はくりょう郡公に封じられることになったが固辞、博陵県公とされた。司馬炎は国内の軍事をまるまる王沈に預けたいと考えていたが、まもなく死亡。庶子の王浚が爵位を継承する。

王浚は永嘉えいかの乱によって荒れに荒れる華北にあって群雄として君臨し、石勒せきろくと対決。その策略に嵌り、捕らわれる。最期まで石勒に屈そうとせず、大いに石勒を罵り、殺された。

子がいなかったため祭祀は絶えていたが、377 年に王沈の從孫である王道素おうどうそが博陵公に封じられた。子の王崇之が爵位を継承、414 年に東莞とうかん郡公に転封された。そうが興ると、廃位された。



荀龍符じゅんりゅうふ。荀顗の宗族である。

荀顗、字は景倩けいせん潁川えいせん人であり、の太尉、荀彧じゅんいくの六男である。荀顗には子がなかったため、從孫の荀徽じゅんきが祭祀を継いだ。

晋が東遷して後、荀顗の兄の玄孫である荀序じゅんじょが祭祀を継承、臨淮りんわい公に封じられた。荀序が死ぬと再び祭祀が絶えたため、孝武帝こうぶていは荀序の子である荀恒じゅんこうに継承させた。その子の荀龍符が継いだ頃宋が興り、祭祀は廃された。




王沈,字處道,太原晉陽人也。及帝受禪,以佐命之勳,轉驃騎將軍、錄尚書事,加散騎常侍,統城外諸軍事。封博陵郡公,固讓不受,乃進爵為縣公,邑千八百戶。帝方欲委以萬機,泰始二年薨。子浚嗣。

勒至襄國,斬浚,而浚竟不為之屈,大罵而死。無子。太元二年,詔興滅繼絕,封沈從孫道素為博陵公。卒,子崇之嗣。義熙十一年,改封東莞郡公。宋受禪,國除。

荀顗,字景倩,潁川人,魏太尉彧之第六子也。顗無子,以從孫徽嗣。中興初,以顗兄玄孫序為顗後,封臨淮公。序卒,又絕,孝武帝又封序子恆繼顗後。恆卒,子龍符嗣。宋受禪,國除。


(晋書39-1)




西晋時代の人士の子孫情報はなにげに美味しいですねぇ。

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