宣帝裔3 梁王

りょう王の系譜は、司馬懿しばいの八男、司馬肜しばゆうから始まる。死後子がなかったため、兄司馬伷しばちゅうの孫(司馬澹しばたんの子)司馬禧しばきを後継とした。ただ司馬澹と司馬禧はともに後趙こうちょうに連れ去られている。


元帝げんていが即位したあと司馬亮しばりょうの孫(司馬羕しばようの子)司馬悝しばりを梁王につけた。しかしすぐに死亡。この頃司馬禧の息子、司馬翹しばぎょうが後趙より解放されていたため、改めて梁王に封じる。


司馬翹が死亡した時に子がいなかったため、元帝の息子にして簡文帝かんぶんていの兄、司馬晞しばきの息子である司馬㻱しばほうに継承させた。が、間もなく父とともに王位を廃され新安しんあんに流され、死亡。


その名誉は太元たいげん年間、つまり孝武帝こうぶていの治世で回復され、子の司馬和しばわが梁王となった。死亡すると、その子の司馬珍之しばちんしが立った。


桓玄かんげんが簒奪をなすと、孔璞こうはくが司馬珍之を奉戴の上寿春じゅしゅんに逃亡。桓玄が倒されると帰還し、左衛將軍、太常卿と累進した。


劉裕りゅうゆう姚泓ようおうを討伐する際に劉裕より諮議參軍となるべく要請を受けたものの、間もなくその劉裕によって殺された。梁国は廃された。




梁孝王肜,永康二年薨,無子,以武陵王澹子禧為後,是為懷王,拜征虜將軍,與澹俱沒于石勒。元帝時,以西陽王羕子悝為肜嗣,早薨,是為殤王。至是懷王子翹自石氏歸國得立,是為聲王,官至散騎常侍。薨,無子,詔以武陵威王子㻱為翹嗣,曆永安太僕,與父晞俱廢徙新安。薨,太元中復國,子和立。薨,子珍之立。桓玄篡位,國臣孔璞奉珍之奔于壽陽,義熙初乃歸,累遷左衛將軍、太常卿。劉裕伐姚泓,請為諮議參軍,為裕所害。國除。


(晋書38-3)




各王の系譜については対象時間外にもほどがあるんですが、とは言えさすがに追わないとなんにもわかんなくなってしまうのですよね。そして東晋朝で王位がいちいち司馬晞系に寄せられるのか疑問だったんですが、これ、「まともに子孫を残している元帝系の子孫」が、司馬晞系以外いないってことですわね……どんだけ子孫絶えまくってんの元帝系……


そして、ここでの劉裕の動きが厄くていいですね。実はこの記述、今回はじめて知ったんですよ。いやぁ、まずい、まずいですわね……

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