宣帝裔2 淮陵王

淮陵わいりょう王の系譜だ。


司馬懿しばいの孫にして司馬伷しばちゅうの子である司馬漼しばさいははじめ廣陵こうりょう公に封じられていたのだが、司馬倫しばりんが簒奪をなしたときに王輿おうよとともに司馬倫の側近である孫秀そんしゅうを攻め滅ぼし、更には司馬倫の廃立にも寄与した。この功績から淮陵王に進封された。


司馬漼が死ぬと子の司馬融しばゆうが継承した。死亡したときに子がなかったため、しばらくの間淮陵王の祭祀は途絶えた。


安帝あんていの時、元帝げんていの息子である司馬晞しばきの孫、司馬蘊しばうんを淮陵王に封じ、司馬漼を祀らせることとした。死亡したときにやはり子がなかったため、今度は司馬晞の曾孫である司馬宝しばほうの子、司馬安之しばあんしに継承された。東晋とうしんが滅ぶと淮陵王は廃された。




覲弟淮陵元王漼字思沖。初封廣陵公,食邑二千九百戶。曆左將軍、散騎常侍。趙王倫之篡也,三王起義,漼與左衛將軍王輿攻殺孫秀,因而廢倫。以功進封淮陵王,入為尚書,加侍中,轉宗正、光祿大夫。薨,子貞王融立。薨,無子,安帝時立武陵威王孫蘊為淮陵王,以奉元王之祀,位至散騎常侍。薨,無子,以臨川王寶子安之為嗣。宋受禪,國除。


(晋書38-2)




なんか司馬晞の系譜って、東晋末において結構重宝されている感じなんですよね。というが兄たちの系譜がことごとく記録上から抹消されてるのか。さすがに司馬奕辺りは子孫残しててもおかしくなさそうだけど、まぁどう考えても司馬昱系にとっては禍根ですものね。その点司馬晞系はその始祖が処罰を受けて貶められているから、正統性的にはもうどうしようもない、というところなのかしらね。この辺のロジックがわかりづらいなー。なにせ司馬晞の次男、司馬遵しばじゅん劉裕りゅうゆうに「安帝不在中の皇帝代理」に立てられていますものね。まぁこの辺は「皇族だけど皇帝になるほどでもない、安全なお飾り」だったのかもしれませんが。


司馬遵みたいな安全なお飾りを承制に据えるのは、さすがにクーデターぶちかます武辺者どもの知恵じゃ無理だったんじゃないかなあと言う感じがします。こういう所にも、やんごとなき奴らの関与がちらちら見えるんですよね。

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