司馬尚之1 名族と対峙

司馬恬しばてんの嫡子、司馬尚之しばしょうし。字は伯道はくどう。秘書郎が初任で、散騎侍郎に移った。父が北府ほくふの取り締まりとなると、司馬尚之は振威將軍、廣陵こうりょう相に任じられた。父の死去により服喪のため職を離れる。喪が明けると驃騎将軍司馬道子しばどうしの相談役となった。


司馬尚之は宗室の中でも特に有能な家系として知られていた。王国宝おうこくほうが誅殺されると散騎常侍の劉鎮之りゅうちんし彭城ほうじょう內史の劉涓子りゅうけんし徐州じょしゅう別駕の徐放じょほうもまた連座されることになった。だが刑執行直前となり、司馬尚之が司馬道子に言う。

「此度の処罰範囲をあまり広くせぬ方がよいでしょう。ならば劉鎮之らについては釈放なされませ」

司馬道子は常々年上の宗族である司馬尚之よりの補佐を受けていたため、その進言を採用した。


とはいえ、朝政を壟断し乱政をやらかす司馬道子の補佐である。名族、ことに王恭おうきょう庾楷ゆかいらより忌まれ、ついには君側の奸として司馬尚之を排除すべく決起、そこにはさらに殷仲堪いんちゅうかん桓玄かんげんらも名を連ねるに至った。司馬道子は王珣おうしゅん謝琰しゃえんに王恭を、司馬尚之に庾楷を防がせた。司馬允之しばいんしが庾楷の子の庾鴻ゆおう當利とうりで破り、庾楷の將の段方だんほうを斬り殺す。庾楷は単馬にて桓玄のもとに逃げ込んだ。


司馬道子は司馬尚之を建威將軍、豫州刺史、假節とした。庾楷の職掌を引き継がせた形である。また間もなく前將軍に昇進させた。司馬允之を吳國ごこく內史、司馬恢之しばかいしを驃騎司馬、丹楊たんよう尹とした。司馬休之しばきゅうし襄城じょうじょう太守とした。それぞれが軍備を抱えること、いざ動けば朝廷を傾けてもおかしくないほどだった。後將軍の司馬元顕しばげんけんが執政となると、やはり司馬尚之を頼みとした。




忠王尚之,字伯道,初拜秘書郎,遷散騎侍郎。恬鎮京口,尚之為振威將軍、廣陵相,父憂去職。服闋,為驃騎諮議參軍。宗室之內,世有人物。王國寶之誅也,散騎常侍劉鎮之、彭城內史劉涓子,徐州別駕徐放並以同黨被收,將加大辟。尚之言于會稽王道子曰:「刑獄不可廣,宜釋鎮之等。」道子以尚之昆季並居列職,每事仗焉,乃從之。兗州刺史王恭忌其盛也,與豫州刺史庾楷並稱兵,以討尚之為名,南連荊州刺史殷仲堪、南郡公桓玄等。道子命前將軍王珣、右將軍謝琰討恭,尚之距楷。允之與楷子鴻戰於當利,鴻敗走,斬楷將段方,楷單馬奔于桓玄。道子以尚之為建威將軍、豫州刺史、假節,一依楷故事,尋進號前將軍;允之為吳國內史;恢之驃騎司馬、丹楊尹;休之襄城太守。各擁兵馬,勢傾朝廷。後將軍元顯執政,亦倚以為援。


(晋書37-3)




うう、どんなに宗族としての名望があるからって、仕えるのが道子元顕親子じゃあかんでしょうよ……孝武帝に直で、というわけには行かなかったのかな。まぁ行かなかったんでしょうね。悲しい。


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