第六章 第六話 ~ 爪 ~



「あ、そうそう」


 俺の殺意が向かい始めたことにも気付かないまま……いや、気付くどころか俺の心情に意識を向ける様子すら見せないまま、創造神ラーウェアと名乗る少女はさらに言葉を重ね続ける。


「僕の力で呼び出したんだ。

 、ちゃんと元の世界に戻してあげるから、安心して欲しいな」


 得意げな声で……何故か少しだけ俺から視線を外しつつも、ぱたぱたと六枚の輝く翼を動かしながら、ラーウェアがそう告げた瞬間。

 「元の世界に戻れる」という救いを見出した筈の俺の身体を走ったのは、安堵でもなければ開放感でもなく……


 ──まぎれもない、ただの怒り、だった。


 俺が抱いたのは、道具として利用され、最悪の結果を見せられ、結局、何もかも上手く使われて終わってしまった『ただの道具』という立場に反逆する……として至極真っ当な怒り、である。

 勿論、最悪の結果を迎えてしまった八つ当たりという、理不尽極まりない怒りも含まれてはいたが。


 ──そんなこと、もう、知ったことかっ!


 俺にはもう……この殺意という名の感情を抑えるなんて出来やしないのだから。


「五月蠅ぇっ!

 それじゃ俺の気がすまねぇんだよっ!」


 創造神の慈悲深い申し出に怒鳴り声で応えた俺は、今まで我慢していた分の怒りを右の拳に込めて、渾身の力で少女の顔面へと殴りかかる。


「っと、いきなり危ないな~」


「ぐっ?

 あっ、ぁあああ?」


 だけど、六枚の翼を持つラーウェアは伊達や酔狂で創造神を名乗っている訳じゃなかったらしい。

 少女の左のこめかみを……包帯によって死角になっている側頭部を狙って殴りつけた筈の俺が、気付いた瞬間には、訳も分からないままに地に伏していたのだ。

 しかも……俺の拳には、間違いなく


「……な、何が?」


「ああ、僕はこの世界の創造主だよ?

 空間をいじくるなんてお手の物さ」


 自慢げに語るラーウェアのその言葉を聞いて、俺はようやく自分の身に何が起こったのかに気付く。

 つまり……


 ──俺の拳は空間を越えて、のか。


 自分自身の拳で殴りつけた右の頬は、今までの無敵のままで喰らったダメージとは違い……生身だった頃、普通に殴られたのと同じように痛みが脳髄まで響き、視界が揺れ歪み、口の中に血の味が広がっていく。

 自分の頬に走った『本当の痛み』という感覚に、俺は大地に膝を突いたまま、熱くなった頬を押さえ……動けない。


「そうそう。

 あまり無茶はしない方が良いよ?

 キミの攻撃はキミ自身にはんだから」


 そんな俺を見下ろしながら、ラーウェアはそう笑う。


「それに、そのンディアナガルは僕が創ったんだよ?

 僕自身に勝てる訳ないじゃないか」


 笑いながら、この小娘に入ってる神とやらはそんな親切極まりない忠告を、俺に向けて上から目線で言い放ちやがった。

 そのあまりにも舐め腐った余裕の態度に……俺は顔を歪め、拳を握り……

 ……歯を食いしばりながら立ち上がる!


「……だから、無駄だってのに」


「悪いが、俺は中途半端に往生際が悪くってなっ!」


 怒りに任せてそんな適当な言葉を叫びながら振った拳は少女の身体へと突き刺さった……かに思えたものの、次の瞬間には、へとが突き刺さっていた。

 そのたった一撃で、ろくに喧嘩をした記憶もなく、痛みに慣れていない俺は動きを止めてしまい……再び地に膝を突いてしまう。


「あ~あ、何でそんな無茶をするんだい?

 何かの得がある訳でもないだろうに」


「やかましいっ!

 んなもの、知るかっ!

 ただ、ただムカつくからっ!

 一発ぶん殴りたいってだけだっ!」


 叫びながらも俺は立ち上がり、今度の俺は顔面をぶん殴る……フェイントを入れた直後に、少女の腹へと目掛けて全体重を込めた蹴りを放つ。

 だが、そんな素人丸出しのフェイントなど何の意味もなさなかったらしく、またしても俺の蹴りは俺自身を蹴る結果に終わってしまい……顔面に足跡のついた俺は脳震盪でふらつきながらも、尻餅を突き……怒りのままに再び立ち上がる。


「だから、キミでは僕には勝てないってば。

 そろそろ気が済んだかい?」


「黙れってんだ!」


 脳震盪と痛みに震え続ける身体を、体重を支えきれなくなり始めている足を、俺はそう怒鳴ることで必死に誤魔化す。

 口先ではそう叫びながらも戦いにすらならない現実を前に、俺は少しばかり心が折れかけていたが……存在を重ね合わせている破壊と殺戮の神ンディアナガルが脳内で放ち続ける咆哮が、俺の身体を戦いへと駆り立て、休むことを許してくれそうにない。


 ──『この世界を壊せ』

 ──『創造主を殺せ』


 自分たちを殺し苦しめたこの世界を呪い、その元凶であるあの創造主を恨む。

 そんな亡者たちの怨念がドロドロに溶けた黒いコールタール状の何かになってンディアナガルの周囲から溢れ、俺へと流れ込んできてているのが分かる。


 ──それこそが、ンディアナガルの権能と結びつき、この世界を塩の荒野へと変貌させた呪怨そのもの。


 だけど俺は、恐らく世間では邪悪と呼ばれるだろう『ソレ』を、拒むことも憎むこともせず……ただ受け入れていた。

 何故ならば、そんな彼らの怒りを呪いを憎しみを、ただ自分の保身だけで無視出来るほどには、俺は冷酷になり切れなかったのだ。

 他でもないこの俺自身が、彼らと同じように怒りを呪いを憎しみをこの世界に向けて……眼前で余裕たっぷりに笑みを浮かべ続けている、この世界の創造主へと向けて抱いてしまっているのだから。


 ──俺は、中途半端に、おせっかいってことかっ!


 内心で俺はそんな叫びを上げながら拳を振い……またしても自分の拳によって殴られ、地に倒される。


「そう難しいことじゃないよ?

 他の創造神たちが言うには、この世界が滅んだのは僕がから、生命力が足りなかった所為らしいんだ。

 だから、命を創るのをんだけど……聞いてる?」


「くそっ、力が要るっ!

 アイツを一発ぶん殴れるくらいの力がっ!」


 完全に頭に血が上っていた俺は、ラーウェアの言葉を意図的に無視し、怒りのままにただ叫ぶ。

 吠える。

 暴れる。

 それは俺の怒りか、それとも破壊と殺戮の神として創られたンディアナガルの怒りか、それともこの世界で理不尽に死んでいった怨念の怒りか。

 何が何だか分からないほどにグチャグチャしたどす黒い感情が、痛みと疲労でいっぱいいっぱいの俺の身体を突き動かしていた。


「……ったく、何でこうなるかなぁ。

 怨念に浸食されないように、せっかく無関係の異世界の人間を選んだってのに……

 ……ンディアナガルには亡者の思念をも『殺す』権能を持たせてあるから、新たな命を創った後に、怨念を殺し尽くせば新しい世界を創り直せるのに」


 これ以上反射してしまえば俺のダメージが深刻になってしまうからか、それとも俺の怒りによって拳に何らかの権能が宿り反射すら出来なくなったのか……先ほどまでは動きすらしなかった少女の形をした創造神は、急に俺の拳をひらりと躱し始めていた。

 だけど、それでもやはり彼女は余裕めいた態度を崩すことなく……自分自身が頭に描いていた、身勝手極まりない新たなる世界の創造計画を、俺へと語り続ける。


「黙りやがれっ!」


 俺は少女が続けようとした言葉をそんな怒声でかき消すと、渾身の力をもって右の拳を叩きつける。

 だがその一撃は、背後にあった大きな岩塩を叩き砕いただけだった。

 どうやらこの空間を操るのが得意な創造神様は、反射させるばかりではなくこういうことも出来るらしい。


「う~ん。

 何が悪かったんだろ?

 ……何もかも上手くいったと思ったんだけどなぁ」


 そんな、俺の攻撃をどこ吹く風と言わんばかりのラーウェアの態度に、俺の怒りは更に加速する。


 ……その時、だった。


 理由なんて分かりもしない。

 ただ破壊と殺戮の神が持つ権能の一つが俺の怒りに呼応した、としか言いようがないが、兎に角、今『ソレ』が……ンディアナガルの『黒い爪』という権能が使という確信が突如として宿ったのだ。


「喰らい、やがれぇえええええええ!」


 俺はその確信に身を任せ、俺と存在を重ね合わせているという破壊と殺戮の神ンディアナガルの『爪の一部のみ』を自分の右腕と重ねて現出させていた。

 そんな無茶をした所為か、後脳の奥深くと右腕とに今までのダメージとは桁違いの激痛が走るものの……怒りに我を忘れている俺にとってはその程度、無視できるくらいの痛みでしかない。

 そして、俺は手首辺りから突き出た腕と同じほどの太さのその『爪』を、ただ怒りに任せてラーウェアの心臓目がけて突き出していた。

 ……ソレは、俺と存在を重ね合わせているンディアナガルが語るところによると『空間をも切り裂く、破壊の爪』らしい。

 その黒い爪は先ほどから少女の形をした創造神が操っていた空間そのものを薄絹ほどの抵抗もなく容易く切り裂くと……六枚の輝く翼を持った超越者目がけ、真っ直ぐに迫っていったのだった。

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