第五章 第七話 ~ 『最後の領主』 ~
塔の奥にあったその部屋は、他と比べても凄まじく広かった。
一辺が何十メートルはありそうな広間に、数メートルもの巨大な柱が数十もの聳え立っているその様子は、ゲームかアニメか何かで見たことのあるどっかの治水施設のようにも見える。
その部屋の外周には……壁に張り付き、声を漏らさないように必死に口を塞いでいる宮女や貴族らしき煌びやかな格好をした人々が並んでいた。
そんな背景を一望した俺がその真ん中の一番奥に顔を向けると、玉座に座っている一人の男と目が合う。
「よくぞここまでたどり着いた、破壊と殺戮の神よ」
そうして目を合わせた瞬間、ソイツが『最後の領主』だろうというのはすぐに分かった。
──他の連中とは威厳が違う。
──気配が違う。
──眼光が違う。
──身なりが違う。
ソイツは、鷲鼻で白髪混じり、猜疑心が強く誰にも気を許していないような眼光の、戦国武将のような風貌をした、細身の男だった。
かなり腕が立つのだろう。
玉座から立ち上がるその動作一つにすらも淀みがなく、身体の重さを感じさせない様子が素人目にも分かる。
「戦巫女から話を聞いた。
人々を軽く屠る凶悪な膂力をしているが、武の心得はなく……矢も刃も受け付けぬ身だが、神具では傷つけられる、とな。
その程度の雑魚にも後れを取る無能には、退場してもらった訳だが……どうやらお気に召さなかったようだ」
そうしてこちらを嘲るような物言いをしつつ立ち上がった細身の男は、玉座の傍らから何か棒状の武器を手にすると、構える。
「だが、神具を持っているのは戦巫女だけではない。
我が神鎚の一撃で滅びるが良い!」
そう告げる男が手にしたのは、俺の戦斧と似た長さの……恐らくは鎚と言われる打撃武器だった。
その男は先端部にかなりの重量はある筈のソレを軽々と振り回しており、右へ左へと風を切りながら自在に操るその姿は、達人と呼ばれる部類の人間を思わせる。
「はははっ、所詮は素人っ!
隙だらけではないかっ!」
そんな笑いと共に振るわれた『最後の領主』の神鎚の一撃は、戦巫女の斬撃よりも速く、そして何よりも振るわれるまで軌道が全く読めないという……以前の俺ならば確実に痛打を与えられていただろう十分な重さを誇る、凄まじい代物だった。
恐らくこの男は、二人の戦巫女を超える凄まじい使い手、なのだろう。
……だけど。
──破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身であるこの俺に……
──そんな棒切れ遊びが通じる筈もない。
俺はその神鎚とやらの一撃を回避も防御もせず、ただ側頭部で受け止める。
直撃を受けた所為か、ちょっとばかり俺の脳と視界とが揺れるものの……所詮はそれだけに過ぎない。
「ば、馬鹿なっ?」
その一撃に余程の自信があったのか驚愕に目を見開き隙だらけとなっている『最後の領主』とやらの右腕を、俺は無造作に掴むと……ただ力任せに振り上げ、そのまま床へと叩き付けてやる。
「が、はっ」
……たったのそれだけで勝敗は決していた。
俺の渾身の力によって凄まじい速度で床に後背を叩き付けられた『最後の領主』とやらは、技も何もないただの俺の握力によって右腕の骨を粉砕された挙句、たったの一撃で呼吸困難に陥ってしまい、戦闘を続けるどころか立ち上がることすら出来ない有様である。
「ば、馬鹿、な……
一体、何が……」
いや、勝敗を決める以前に、そもそも彼我の実力差が大き過ぎ……戦いにすらならなかったのが実情なのだ。
何しろ、幾ら鍛え上げていようとも、幾ら凄まじい使い手だろうと、幾ら凄まじい武具を手にしていようとも……この男は所詮人間でしかないのだから。
現に今も、自分が敗北したことすら認められず、現実逃避するような言葉を口から吐いている有様である。
──こんなゴミクズが。
──エリーゼにあんな真似をしやがった、のか。
そうして、倒れたまま起き上がれない『最後の領主』を見下ろした俺は……今もなお身体の奥底で渦巻き続けている黒い衝動に突き動かされ、何の躊躇もなく彼の右膝を踏み砕く。
「ぎゃ、ぎゃあああああああああああ!」
腕を粉砕され、膝を踏み砕かれ、俺への逆転の目どころかもはや思う通りに動く四肢すら奪われたことを理解した『最後の領主』の、絶望と激痛の悲鳴を間近で聞いた俺は……失望に大きな溜息を吐いていた。
──このクズの、人生の終わりのようなその悲鳴を聞いても……
──欠片も心が晴れやしない。
せめてコイツを殺せば……エリーゼが味わったような絶望と苦痛とを味わわせてやれば、少しはこのどん底の気分がマシになるとは思ったのだ。
そう思ったからこそ俺は、もはや欲しいモノもないのに無駄な労力を使ってまで目についたべリア族を殺し尽くし、こうして元凶に意趣返しをしてみた訳だが。
だけど、気が晴れると思ったのはただの錯覚でしかなく。
「お、お前、俺は、俺は、もうっ……
ぐぎゃぉおおおおおおぁああああああああ!」
そうして俺は、未だに晴れぬ憎悪と殺意を抱えたまま、何やら雑音を発しているゴミへと視線を向けると、俺は未だ無事だったソイツの左腕を掴み……
……力任せに引き千切る。
屠殺される瞬間に豚があげるような悲鳴を上げながら、ソイツはまるで足をもがれた虫けらの如く暴れ回っていた。
傷口から吹き出した血が、ソイツが暴れ回るのと合わせて周囲に飛び散り、血錆の匂いが鼻を突き……恐らくは激痛と絶望で失禁したのだろう、尿の臭いも周囲に漂っている。
……だけど。
──ダメ、か。
あの……エリーゼの残骸を見てしまった俺は、こうして人が激痛にもがき苦しく様を見ても、人としての尊厳を失った様を見ても心が痛むこともなければ……心が晴れることもない。
ただ、未だに晴れない残酷な衝動に身体が突き動かされた俺は、次にソイツの折れたまま動かなくなっていた右手の甲を踏み砕き、踵で摺り潰す。
「ぎゃ、ぎゃあうぉぉぁあああああああ?」
両腕を失い、片膝も砕かれて、尿をまき散らし……それでも死にたくないのか、豚のように這いずりながらも必死に逃げようともがくそのクズに、俺は溜息を吐く。
死にたくないと逃げて来た同胞に矢を射かけ、仲間だったエリーゼをあんな姿にしたこのクソ野郎は、自分の番になったらこうして必死に苦痛から逃れ、死にたくないと惨めな姿を晒しているのだ。
──なら、最初から殺さなければ良いのに、な。
どうして権力やら暴力やら、身の丈に合わない力を身に付けた人という生き物は、自分がされたら嫌なことを平然と人にしてしまうのか。
そう溜息を吐いた俺は、普通ならトドメを刺すのを躊躇ってしまうほど、情けなくも哀れなその姿を見下ろす。
「ゆ、ゆるし、ゆるして、ゆるして」
もはや逃げる体力すら失ったのか、這いずるのを止め、涙と鼻水と涎をたれ流しながら哀れに首を振るそのクズに俺は笑みを一つ浮かべて見せると……
「そう言った戦巫女に、貴様は何をした?」
……欠片の憐憫も与えることなく、冷たく己の罪を諭すようにそう告げてやる。
そして、その言葉を告げながら残り一本の脚を踏み砕いてやったそのクズの顔は見ものだった。
今まで虐げ奪う側だった人間が、屠殺されるのを待つ豚の立場に転落した瞬間の、人生全てが終わったと悟った瞬間のその表情はこういう風になるのだと……道徳の授業があれば教科書に載せてやりたいと俺が思ってしまったほど、滑稽極まりない代物だったのだ。
「う、うわぁああああああああああああああ!」
「ははっ、ははははははははははっ」
この世の終わりと言わんばかりの『最後の領主』の悲鳴と、笑い過ぎて腹筋を痛めてもおかしくないほどの俺の爆笑とが、この広い部屋全体へと響き渡る。
そうして腹を痛めるほどの笑いが収まってきた頃、あれだけ笑ったというのにまだ腹の奥にヘドロのようにへばり付いたままの憎悪の存在に気付かされた俺は、思わず眉を顰めていた。
折角、笑っている間は気分が良かったというのに……何となく笑いすらも台無しにされた気分になった俺は、苛立ち紛れとばかりに男の腹へと貫手を突き入れる。
凄まじい膂力を有した今の俺の指は、別に爪が生えている訳でもないのにソイツの皮膚も腹筋をあっさりと突き破り……ただ力任せに腹の内部を突き進み、指に当たった小腸らしき物体を握って引きずり出す。
「ぎゃ、ぁぁあぁぁあああああああああああああ!」
「ははっ、踊れよ!
そうだっ、逃げろよ!
ほらっ!
どうしたっ!」
腸を握り引っ張るたび、内臓が潰れ歪み捻じれる激痛を味わった『最後の領主』とやらが悲鳴を上げ跳ね踊り狂う。
……その無様な姿を見て、またしても愉快な気分が戻ってきた俺は、クソ野郎の命を張った芸を嗤い、つかの間の気晴らしを楽しんでいた。
それを数分間繰り返していると、流石にその玩具も体力と気力が尽きたのか、悲鳴も上げず踊りもしなくなってきた。
興が醒めてしまった俺がそのクズの顔へと視線を向けると……このクソ野郎は精神が焼き切れたのか、白目を剥いて泡を吹きぴくりとも動きやしない。
──汚い、臭い、醜い。
──ただのゴミだな、こりゃ。
なぶっている最中に尿ばかりか糞便までもを漏らしたソイツの下半身は見るに堪えない有様となっており……周囲には血と臓物と骨と皮と肉と、そして腸に詰まっていた内容物が飛び散って凄まじいことになっている。
正直に言って……ただ汚らしいこと、この上ない。
気が晴れるかと思って続けてはみたが……ただ臭くて汚くて見苦しいだけの、下らない見世物だった。
「くそがっ!
もっと俺を楽しませろっ!」
先ほどまでの愉悦を穢された気分に陥った俺はそう怒鳴ると、欠片の躊躇もなく惨めで哀れなそのゴミの顔面を踏み砕く。
顔面を踏み砕かれた残りの胴体は、炎天下のアスファルトに炙られたミミズのようにビクビクッと痙攣を起こしていたが、ものの数秒ですぐに動かなくなり……そして真っ白な塩の塊へと変わり果てていく。
「……さて」
玩具に飽きた俺が次に遊ぶ玩具を求めて周囲を見渡すと……部屋の片隅には宮女に混じってえらく豪華な格好をした女が、赤子を抱きかかえて震えていた。
俺はのんびりと歩きながらその女の群れに向かうと、行きがけの駄賃とばかりに近くで頭を抱えて震えていた宮女を三人、拳を叩きつけることで肉塊に変える。
「ひ、ひっ、ひぃぃぃいいいいい!」
隣の人間が死体に変わったのを至近距離で見て我慢の限界に達したのか、近くに居た貴族っぽい格好の男たちが我先に逃げ出そうと走り出し始めていた。
そんな男の姿を見た俺は、足元に転がっていた……さっきの玩具で遊ぶときに適当に手放していた戦斧を手に取ると、放り投げ……その重量物に運悪く巻き込まれた数人の男たちは、人形のように力なく転がると、そのまま起き上がることはなかった。
そうして目に見えるゴミを適当に潰しながら歩いていくと……いつの間にか残っているのは俺に睨まれて動けないままの、その豪華な女と赤子の二人だけとなっていた。
装いや態度から推測するに、彼女は恐らく『最後の領主』とやらの妃なのだろう。
……ならば、胸に抱いているのはあの男の子供だろうか。
「お、お願い、します。
どうか、どうか、何の罪もない、この子供だけは……」
「そんなお前たちはサーズ族を皆殺しにしてたんだろう?
何故てめぇの餓鬼一匹が助けてもらえると思うんだ?」
必死に懇願してきた母親という生き物に対し、俺は首を傾げて素でそんな疑問を口にしていた。
実際問題、これはべリア族とサーズ族の戦争……いや、単なる生存競争なのだ。
女だろうと老人だろうと怪我人だろうと子供だろうと関係ない。
ただ生きるか死ぬか、食うか食われるかのみで、罪の有無なんて何の意味もない。
そもそも自然界の生存競争なら、弱い赤子こそが真っ先に飢えで死に渇きに倒れ病でくたばり……そして、他の生き物の餌となって果てていくのが道理なのだ。
「永久に呪われなさいっ、この外道っ!
予言するわっ!
貴様は自分の殺した者の呪いによって破滅するっ!
自分の罪の重さを自覚し……」
「……黙れ」
自分の境遇を悟ったのか、突如としてヒステリーを起こして叫び始めたその鬱陶しい女の顔面に、俺は拳を叩きつけることで黙らせる。
何が気に障ったのかは知らないが、人様の子供を殺し続けて来ていて、自分の子供が死ぬがダメなんて、そんな身勝手は道理が通らないだろう。
そうして女の身体が塩の塊となって崩れ落ちた先には、一歳に満たないくらいの子供がこの世の終わりのように泣き叫んでいた。
まぁ、赤ん坊は泣き叫ぶのが仕事であり、子供の声を厭うような大人にはなりたくないとは思うものの……何故かこの餓鬼の鳴き声は妙に耳に突く。
「……ああ、五月蠅い」
だから俺は、その床で喧しい騒音をまき散らす小さなゴミに向け、右足を叩き落とし……永久に黙らせてやったのだった。
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