第五章 第二話 ~ 扇動 ~


 先の戦闘から2日が経過し、その間ゆっくり寝てことでようやく怪我を治し体力を回復させた俺は、引きこもっていた神殿を出て集落を歩いていた。

 回復したついでの散歩ではなく、次の戦いのことをバベルのヤツと相談するという目的のある外出だったのだが……


 ──ちっ、鬱陶しい。


 ただ外を歩いているだけで、周囲のサーズ族の連中が土下座して拝んでくるのを目の当たりにした俺は、その異様な行動に辟易し、内心でそう吐き捨てていた。

 実際のところ、仰々しい信仰などを求めていない俺としては、いくら拝まれようが祈られようが、ただ蝿に集られた気分になるだけである。

 下手に話しかけたり触れようと近づいたりして来ないからまだ良いものの……もしそんなことをされていたら、寄ってきた蠅を潰すかのように、連中の数人をうっかり肉塊にしていたかもしれない。


 ──しかし、何か、変だな?


 ふと、そうして祈られる中を歩いていた俺は、若干の……本当に原因も分からないほどの微かな違和感を覚え、足を止めて周囲を見渡していた。

 相変わらず集落に残されているのは非戦闘員の御婦人方……俺の求める年齢層や容姿からはかけ離れている女性たちや、疲れ切り祈るのが精いっぱいの老人ばかりで、特に俺の興味を引くようなモノは見当たらない。

 変わっていることと言えば……彼らが向けてくる視線が、初日の戦いに勝った頃と比べると、どうも不穏当に感じられるくらい、だろうか。

 他には、数日前に歩いた時よりも自分の足音が不思議と耳に響く……要するに、周りが少し静かになったような……


「……気のせい、か」


 あれだけの激戦を犠牲を出さずに勝利し、サーズ族を救ったこの俺に、不穏当な視線……即ち、憎悪や殺意等が向けられる筈がない。

 そう結論付けた俺は肩を軽く竦めてそれらの視線を意識から外すと、集落の中を突き進み、いつか来たことのあるバベルの家へと辿り着く。


「……よぉっ」


「ひ、ひぃっ?」


「は、破壊と殺戮の神っ……」


 俺が特に礼儀も考えず家の中へと顔を突っ込むと、彼らは相変わらず軍議の真っ最中だった。

 と言うよりも、彼らサーズ族の男たちにはのだろう。

 集落近くの畑も塩の荒野に呑まれ、べリア族たちに荒らされと散々で……一昼夜では手の付けようがない。

 その上、猟をしようにも……この乾き切った塩の荒野へと出て行ったところで、ろくな獲物も存在していないのだから。


「……今日は何の御用でしょう」


 俺を目の当たりにしても遠巻きに眺めるばかりで声一つ上げようとしない男たちの中で、一番俺に慣れているのだろうロトが前へと進み出て顔色を窺うようにそう話しかけてくる。

 共に戦場に出た筈の男たちが浮かべているその表情は、神の化身である俺が護ってくれるという安堵とは程遠く……俺が次の災厄をもたらすと確信しきっているように思え、微妙に腹立たしい。

 ……事実、「一体誰のために戦ってやっているんだ」という叫びが、喉元まで出かかっていた。


「次の戦争の話をしに、な」


「……次のって!

 幾らなんでもそりゃ無理だっ!」


 俺の提案を聞いて真っ先にそんな悲鳴を上げたのは、未だに片腕を包帯で吊ったままのギデオンだった。


「先の戦いだって無茶苦茶な有様で、生き延びるのだってギリギリだったんだ!

 貴方様は俺たちを地獄の底まで引きずり込むつもりですかいっ!」


 悲壮感たっぷりに如何にサーズ族が限界かという妄言を垂れ流すギデオンだったが……生憎とコイツは自分の都合のために言葉を盛る悪癖があって信頼できない、気がする。

 そう断じた俺は、隻眼の巨漢が喚くのを無視し、真正面に座っていたバベルへと視線を向ける。


「……ああ、間違いない。

 確かにもうサーズ族には戦士が残っていない」


 俺の視線に返ってきたのは、苦虫を噛みしめたかのように眉をしかめたままの、バベルのそんな肯定だった。


「あの決戦が俺たちの勝ちに終わったとは言え、それでも死者が20は出た。

 しばらくは戦えない怪我人なんざその倍はいる。

 残り50にも満たぬ兵では……あの城を落そうなんざ狂気の沙汰だ」


 彼自身、サーズ族を率いる身として、べリア族との完全決着へと至れない無力さを痛感しているのだろう。

 彼の口から出てきたのは、次の戦いを忌避する声ではなく、そんな……攻めきれない現状を嘆くような声だった。

 俺としては敗北主義者全員にを入れることで、彼らを戦いに駆り立てることは可能なのだが……こうして冷静に分析した上で不可能と断じられてしまうと、「べリア族の拠点を攻め込もう」とは口にし辛い。


「……あの城?」


「べリアの居城……『最後の領主』を名乗るべリア族の長が住む石の城でして。

 古の時代に造られたと伝えられている巨大で強固な城塞に、連中は巣食っているのですよ」


 俺の問いにロトは口惜しげにそう呟きながら、地図を指差して見せた。

 彼の指の先には、前に地図を見た時にも目の当たりにした、四角で覆われた×印がある。

 このサーズ族の集落と前に襲撃をした村との距離から察すると……此処から丸一日ほど歩けば届くほどの距離だろうか。

 もしかすると、この×印を覆う四角形は特に敵の本拠地を強調する意味の表記ではなく……文字通り、これほど巨大な規模の城壁に覆われていることを表しているのかもしれない。


「連中には確実に痛打を与えている。

 ……べリア族も、あと10年は攻勢には出られないだろう。

 先の戦いにおいて連中の兵糧を奪えたお陰で、食糧も冬を越せるほどは奪えた。

 つまり、我々にはもう戦う理由が……」


「そして、10年後に滅ぼされるのか?

 このまま何もせず、10年後に皆殺しに遭おうと?」


 苦し気に告げていたバベルの言い訳を、俺はそう一刀両断してのける。

 事実、俺の言っていることは紛れもない真実であり……この場にいるサーズ族の戦の誰一人として、反論の声一つすら出そうとしない。

 ……それも当然だった。

 サーズ族はべリア族に比べて総数で負けている。

 武装一つ見るだけでも技術力には雲泥の差があり……人口を支えるための生産力でも圧倒的に負けているのだろう。

 特にその生産力の差が一番大きく……今でこそ俺の力でサーズ族が有利に戦えていても、10年後には人口差が圧倒的に広がるのは明白であり、その時は既にに違いない。

 ……だけど。


「ですが、攻めていっても勝てる訳が……」


 誰もが黙り込んだ中、ロトが恐る恐るそう告げた通り……彼らサーズ族には戦争を継続するほどの力がないことも、紛れもない事実だった。


 ──ただ、それじゃ困るんだよな。


 サーズ族の戦士たちの顔に厭戦の気配が広がっているのを感じ、俺は顔色に出さないままに、内心で一つ舌打ちをする。

 正直、俺はコイツらが将来どうなろうが構いやしない。

 俺の興味はただ一つ……あの小生意気な戦巫女エリーゼを叩きのめし、屈服させ、自分の物にすることだけだった。


 ──そのためなら、コイツらサーズ族の戦士たちが幾ら死のうが知ったことか。


 である以上、俺はコイツらを焚きつけなければならない。

 自分一人でべリア族共を皆殺しにするは、幾ら俺が破壊と殺戮の神ンディアなんとかの化身であり、幾ら無敵で最強の存在だろうとも……流石にのが目に見えている。

 だけど、皆殺しにしてしまわないと、セレスの時のように邪魔が入りまたが発生しかねないのだから。


「俺が、突っ込む。

 城壁をぶち壊し、連中を掻き乱し、戦意を挫く。

 お前たちは逃げ回る連中の首を刈り取るだけだ。

 ……何を恐れる必要がある?」


 俺はなけなしの演技力を用いて自信満々に勝利を騙り……俺の煽り言葉を聞いたサーズ族の戦士たちは少しだけ活力を取り戻し、お互いの顔を見合わせ始めた。

 現実問題として、サーズ族は今べリア族を攻め滅ぼさなければ……10年後に彼ら自身が滅ぼされてしまうのは紛れもない事実なのだ。

 慎重な筈のバベルでさえ……俺を一人の戦友として扱い、崇拝している訳ではない筈のこのサーズ族最強の戦士でさえ、何の保証もない俺の言葉に頷きかけるほど、彼らは追い詰められている。

 俺の煽り言葉によって、この室内の空気が慎重論から強硬論へとようやく変わる気配を見せ始めた……その時、だった。


「だから、無理だっ!

 あんたはあの城を見たことがないからそう言えるんだ!

 絶対に死ぬっ、間違いないっ!

 ハリネズミジポーデのように全身を射抜かれるっ!

 そんな死に方なんざ、俺は御免だ!

 お前たちだって、そうだろうっ!」


 周囲の空気に呑まれなかった、ギデオンの悲壮感溢れるその悲鳴によって、その何とかという城とやらを攻略する難しさを思い出したらしく……サーズ族の戦士たちの顔には恐怖の色が浮かび上がり始めていた。

 それは、この隻眼の巨漢であるギデオンの恐怖が、じわじわと周囲に伝染していくかのようにも見える。


 ──このままじゃヤバいっ!


 そう思った俺は、喚き続ける大男を黙らせるべく……周囲に広がる恐怖という伝染病の感染源を断つべく、反射的に右拳を振っていた。

 殺意もなく、いや、悪意すらなく軽く放ったつもりの俺の拳は……彼の頭蓋をあっさりと叩き割り、辺り一面の床に脳漿をぶちまけさせていた。


 ──あ?


 その自分が作り出したとは思えない無惨極まりない光景に、俺は呆然と「ギデオンだった物体」と「真っ赤に濡れた自分の拳」とを見比べてしまう。

 とは言え、何度見比べたところで、目の前の現実は否定のしようもない。

 ……誰でもなく、自分自身が、彼を、殺したのだ。


 ──武器を手にした敵ではなく。

 ──言葉を交わしたこともある顔見知りを、この手で。


 その事実は、数多の人を殺してきた俺の心にも……あれだけの惨劇を作り出しても何も感じることがなかった俺の心にも、不思議と重くのしかかってくる。

 本来、人を殺してしまった人間が抱くだろう罪悪感……後悔と自責の念が胸の奥から湧き上がってきて、自然と俺の手が震え始めていた。

 とは言え、俺がここで後悔し懺悔しても、自責の言葉を吐いたとしても……俺が殺してしまったギデオンという名の巨漢が今更生き返る筈もない。

 それどころか、俺が後悔する様を見せて常人らしく振舞ってしまうと、俺への信仰が薄れ……べリア族の本拠地へ戦争をしかける話が立ち消えになってしまうかもしれない。

 ……それだけはダメだった。


 ──俺は、あのエリーゼを手に入れるために、ここにいるのだから。


「少し黙っていろ、この敗北主義者がっ!」


 こうなったら仕方ないと……俺が威厳を保つために咄嗟に出て来た言葉は、まるでナチス映画のヒトラーを真似たような、酷い独裁者にも思えるそんな叫びだった。

 眼前で惨劇を作り出した挙句、そう吐き捨てた俺を目の当たりにしたサーズ族の戦士たちは、息を呑んで黙ってしまう。

 彼らは仲間の死を眼前で見せらたにも関わらず、俺に対して復讐をしようという気配もなく……どうやら俺に付き従い、べリア族の殲滅を行うつもりのようだった。

 ……ギデオンの一族である筈の、彼を取り巻いていた戦士たちでさえも、異論を唱えようとはしていない。

 彼らが俺を憎んでいない、筈もなく……だけど、彼らにはもう他に選択肢がないのだろう。

 ……彼らは、次の戦いに勝利しない限り、10年後の死を待つ未来しか存在しないのだから。


「では明日、出発するつもりで進める。

 当然のことながら、またしても総力戦になるが」


「……ああ、後は頼む」


 バベルの言葉に俺は一つ頷くと、意図せずに自分が作り出してしまった惨劇から目を背けるかのように、鉄錆の匂いが充満した彼の家から慌てて立ち去った。

 ……そんな俺の背中へと、恐怖と憎悪の籠められた視線が数多向けられていることに気付かないままで。

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