第五章 ~ 覚醒 ~

第五章 第一話 ~ 変わりゆく心 ~


「随分とやられましたな、我が主よ」


「……ああ」


 先の戦いで満身創痍となった俺は、神殿の中にある自室で胡坐をかき、甲斐甲斐しく世話御焼こうとする黒衣の邪神官共に怪我の手当てを任せながら、チェルダーのそんな言葉を適当に受け流す。

 手当をしてくれているのに礼儀知らずな対応だとは自分でも多少は思っているものの、今の俺には不機嫌さを隠す余裕すらなかったのだ。

 事実、数時間前の戦闘により、俺の身体は疲労で重く、身体中に走った切り傷は浅いながらも未だに痛む上に、着ていた学生服も鉄板を張り合わせた鎧もズタボロで、無事なところがない有様である。

 しかも……それほどの苦労を重ねて手に入れた筈のセレス=ミシディアという名の美少女は、永久に失われてしまったのだから俺が不機嫌になるのも仕方ないことだろう。


 ──ただの徒労だったぞ、くそったれ。


 折角今夜は楽しいことが出来ると思っていたのにスカされた形になった俺は、憮然としたまま黒衣の神官共に出された臓物のスープを一気に飲み干す。

 ……相変わらずクソ不味い。

 だが、他に喰うものなどろくにないし、何よりも怪我と疲労で身体が栄養を欲しがっていた。

 同じく出されていた塩辛い干し肉を、薬と思って数枚一気に口に放り込み、強化されている咬筋力で無理やり摺り潰して強引に飲み込む。

 味は……味覚をことに慣れてきたお陰か、不味いことは不味いのだが食えないほどではなくなっている。


「それよりも、我らが主よ。

 その、送還の儀なのですが、実は……」


「知ってるさ。

 ……まだ手をつけてないんだろう?」


 包帯を巻き終えた後におずおずとそう切り出したチェルダーに対し、俺はこの黒衣の神官たちの長に視線を向けることもなく、自然と出て来た冷たい声色でそう吐き捨てる。


「ははぁっ!

 も、申し訳ありません。

 神の慧眼を、欺ける訳がないと……そう、知っておりながら!」


 極寒を思わせる俺の声に、山羊の頭蓋骨を被り、まだ顔すら見たことがないこの黒衣の神官は、地に頭をこすり付けながらそう平伏し始める。


 ──何が神の慧眼だ、クソが。


 こう何度も何度も……尋ねる度に話を逸らされていれば、誰だって気付くだろう。

 事実、友人もろくにおらず対人スキルがほぼ皆無である俺ですらも気付けたのだ。

 とはいえ、そのことでサーズ族共を責めるつもりなど、今の俺にはもうなかった。


 ──コイツらの窮状を知ってしまったから、な。


 食糧もない兵力も足りない彼らの現状では、取り返せた水場も食料も、俺が去ってしまった直後にはまた奪われていたことだろう。


 それを考えると、彼らが神の化身である俺を騙してでも送還させなかったのは、仕方がないことかと思ってしまう。

 それに……俺はまだこの世界で、やりたいことが残っている。


 ──あの、やかましい小娘を犯してやる。


 ……そう。

 俺がこの世界で奮闘しようと考え始めた理由……即ち、「この世界で一発ヤる」という俺の目的は未だ果たされていないのだから。


 ──セレスを失ったのは確かに痛い。


 正直に言って、あれだけ切り結んでいる間に絆も芽生えたし、何よりもあの意志の強そうな蒼い瞳と美貌には本気で惚れこんでいたのだ。

 彼女が失われたことは悔やんでも悔やみきれないし、考えると未だに胸の奥底がじくじくと膿んだように痛む。

 ……だけど。

 セレス=ミシディアと比べると少しばかり劣るものの、あのエリーゼとかいう小娘も十分美少女の範疇に入る。

 身体つきとしては残念な部類だろうが、この際、それは仕方ないと割り切ろうと思う。

 そして、俺の腹に刃を突き立ててくれた仇敵であり……何よりも、俺からセレスを失わせる原因を作った張本人だ。


 ──惚れさせようとか屈服させようとかは無視だ。

 ──あの小娘を絶望の底に叩き込むのに……何の躊躇いがある?


 そういう意味では、送還されずに済んだことに対し、俺の方から逆に感謝したいくらいである。

 あれだけ美しい少女を、あれだけの技量を持つ少女を、あれだけ分かり合えた戦巫女を失ってしまったという痛みは未だに癒えておらず……正直なところ、俺はその喪失感を怒りへと転換することで、悲しみを誤魔化しているのだろう。

 ただ……自分の感情が八つ当たりでしかないと分かっていても、今の俺はそれを押し留める気にもなれなかった。

 思い返すと腹の奥から行き場のない怒りがこみ上げてきて、俺は歯噛みして必死にその衝動を抑え込む。

 知らず知らずの内に握りしめていた手のひらの中で、飲み水を入れていた陶器の器が砕けたばかりか、その割れた破片を握りしめていたらしく、手の中には文字通り粉砕された器の一部が残されている。

 そうして手の中のゴミをはたき落として顔を上げてみれば、山羊の頭蓋骨を被ったチェルダーのヤツが、平伏したまま震えているのが目に入る。


 ──よくよく考えれば、俺はコイツに騙されていたんだったな。


 二度と騙されないためにも……少し釘を刺さなければならないだろう。

 俺は自分の中に渦巻くどす黒い感情の行き場を見つけたことに、少しだけ微笑んでいた。


「俺は別に怒ってはいないさ。

 お前たちの境遇は分かっているつもりだ」


「は、ははっ」


 微笑みながら優しげにそう告げると、チェルダーはよほど安堵したらしく強張っていた身体中からふっと力が抜けていた。


「……だが、罪には罰が必要だよな」


「……え、な、何を?」


 その安堵を見計らった俺は立ち上がると、震えたままのチェルダーの近くに膝を下ろし、耳元でそう優しく囁きながら……震えた彼の左肩へと優しく手を置く。


「ぎゃああああああああああああ!」


 直後、俺は少しばかり手の力を籠めることで、三角筋と鎖骨と肩甲骨を軽く

 俺の指が皮膚を突き破って肉に食い込み、骨が砕けた挙句、砕けた骨の破片が周辺の肉へと食い込んでいく激痛にチェルダーは悲鳴を上げ暴れ回る。

 だが、俺の握力は人間一人が暴れた程度の抵抗では揺らぎもしない。

 とは言え、コレはでしかなかった俺は、悲鳴がそろそろ続かなくなった辺りで指から力を抜いてチェルダーの身体を解放してやる。

 地に落ちた神官は肩を押さえながら、苦痛と畏怖に満ちた……だけど怒りも憎悪も反抗心も感じさせない視線で俺を見上げていた。

 コイツからしてみれば、先ほど俺が与えた苦痛はであり、でないらしい。


「……二度はないぞ?」


「は、ははぁっ」


 宗教関係に特有なのだろうが、全く理解が及ばないコイツらの思考回路を目の当たりにして気持ち悪くなった俺は、吐き捨てるようにそう告げ……その言葉を聞いたチェルダーだけでなく周囲の神官全員が、何故か平伏して恭順の意を示し始めた。

 だが、神官共全てがただ鬱陶しく気持ち悪い昆虫の類としか思えなくなっていた俺は、手先で蠅を追い払う仕草をして見せる。

 たったのそれだけで俺の意図を察した神官共は、訓練された犬の如く声一つ出すことなく去っていた。


「……何なんだアイツらは」


 黒衣の連中がいなくなったのを見計らった俺は、そう小さく吐き捨てると毛皮の上にゴロリと大の字に転がり、チェルダーの肩を突き破った返り血に染まった手のひらを近くの毛皮へと擦り付ける。

 そうして手から血の色が消えたことを確認した俺は、ここ数日間延々と近くに侍らせ続けている包帯の少女を抱き寄せ、大きく溜息を吐く。


「あ~あ、憂鬱だ。

 早く犯して殺してぇ……~~~なっ?」


 そんな、知らず知らずの内に自分の口から出てきたが耳に入ったその瞬間……そのあまりの内容に、俺は自然と我に返っていた。


 ──俺は今、何を言った?


 数日前……そう、ほんの数日前まで、俺はただの学生だった。

 友達もおらず日々に鬱屈する、だけど自分を変える気合もなければ犯罪を起こす度胸もない……そんな、ただ平凡で無力な学生だった、筈、なのだ。


 ──それが、数日で、、か。


 物言わぬ反応一つ見せぬ少女を胸に抱いたまま、天井を仰ぎつつ……俺は内心でそう嘆息する。


 ──武器に馴染み、殺しに慣れ、血に酔い。

 ──強いという優越感に酔うだけで……人はここまで変わってしまうのか。


 そんな絶望的な感覚を……よく映画なんかで聞く「戦争が人を変えてしまう」というフレーズを、今改めてした俺は、身体中の力を抜いて重力に任せ、毛皮の上に大の字に寝そべっていた。


「……ははっ、はははっ」


 直後、俺の口からは自然と笑いが零れ出ていた。

 帰りたい帰りたいとあれだけ思っていた俺が、実はもうどうしようもないレベルの、社会不適合者へと……人間失格へと変貌していたことに気付かされた今、もう乾いた笑いを上げる以外、やれることがなかったのだ。


「こんなことならあと7日間、この神殿に籠ってた方が……」


 空虚な笑いが通り過ぎた後に俺の口から出て来たのは……そんな力のない小さな呟きだった。

 俺がそう呟いたのは、別にに不思議なことじゃないだろう。

 このまま戦場と殺しに慣れてしまい、完全な人格破綻者への道を突っ走るよりは……向こうへ帰ってからも戦いの高揚と他者を一方的に打ち砕く高揚に取り憑かれたまま、ただ暴力のみを信奉して生きる暴力団ゴミのように生きるよりは、なけなしの良心と自制を大事にした方がマシだと思えたからだ。


 ──引きこもりも、悪くない、か?


 実際、先の総力戦でべリア族は大きな痛打を受け、もう数年間は反撃してくる余力なんて残っていない、筈である。

 つまり、「サーズ族を滅亡から救う」という俺が黒衣の神官共に召喚された目的はもう果たしているのだ。

 塩の荒野の拡大が止められない以上、サーズ族にもべリア族にも未来はないかもしれないが……そんなこと、正直に言って俺の知ったことではない。

 つまりこれ以上、俺が頑張る必要なんて、ない。

 俺がそう考えた……その時だった。


「~~~ってぇ!」


 それは、バランスが崩れた所為で生じた、ただの反射だったのだろう。

 抱きかかえていた心の壊れている筈の少女が、不意に身動ぎしたかと思うと、かすかに動いたその手が俺の腹を押し……その痛みに俺は思わず叫びを上げていた。

 その手はエリーゼに突き刺された神槍の傷の上にあり……先の戦闘中に受けた傷の中でも最も深かったその傷口は、少女がただ触れただけで脳髄へ響く激痛が走ったのだ。

 完全に不意打ちとなったその激痛に慌てた俺は、少女を身体の上から退かしつつも……その痛みのお陰で俺は先の戦闘を……忘れてはいけない筈のものを、思い出す。


 ──セレス=ミシディア。


 ……手に入る筈だった、あの美しい金髪の戦巫女の、意思の強い碧い瞳と、無駄のなく鍛えられていた、女性らしい凹凸をなくしていないあの素晴らしい身体を。

 彼女という存在が永遠に失われた瞬間に見た、あの空虚な瞳を。

 そして……数秒前まで彼女だった筈の身体から零れ出た血と臓物に触れた……あの絶望的な感触を。


「何を、馬鹿なっ!」


 あの最悪の光景を思い出した俺は、気付けばそんな自らを叱咤する叫びを上げていた。

 ……そう。


 ──このまま、何も得ないままに帰還するなんて、冗談じゃない。


 俺は、彼女の差し出された手を掴む筈だった自分の右手を眺めながら、次の戦争を……いや、次の殺戮をどう行うか、その策を頭の中で練り始めたのだった。


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