第四章 第六話 ~ 決裂 ~


 セレス=ミシディアという美少女が俺に屈し、俺が彼女へと手を伸ばそうとした……その時、だった。


「姉さまっ!

 こちらへ!」


 その貧相な身体の所為か、完全に失念していたもう一人の戦巫女……エリーゼが馬に乗りながら俺とセレスの間に割り込んで来やがったのだ。


「あんたはっ、これでも喰らってなさいっ!」


 そして、この事態を全く予期していなかった所為か、エリーゼの乱入に思考が追いつかずただ茫然と立ち尽くしていた俺に向け……彼女はゴルフボールくらいの鉛球を放り投げてくる。


「たかが、その程度っ!」


 剣で斬られても槍で突かれても矢が刺さっても平気だった俺は、そんな鉛球程度、食らったところで痛くもないだろうと高をくくって防御や回避を意識から外し、邪魔者を蹴散らすべく足を前へと踏み出し……


「──なっ?」


 次の瞬間、鉛球は俺を僅かに外れ……代わりに身体へと縄が巻き付いてくる。

 どうやら鉛の球はボーラとかいう、紐と鉛球からなる狩猟武器だったらしい。

 動体視力や反射神経なんかは常人と変わらない俺は……そして自らの無敵に慢心していた俺は、その一撃を避けるどころか反応することすら出来ず、自分の身体に紐が幾重にも巻き付く様子をただ眺めることしか出来ない。


「今ですっ、姉さまっ!」


「──でもっ!」


 完全に不意を突かれ自由を奪われた俺を見て、一瞬だけでも隙があると思ったのだろう。

 馬から身体を投げ出すようにしたエリーゼは、躊躇いを見せたセレスをその少女とは思えない膂力で強引に腰のあたりを抱きかかえ、筋力だけで上体を起こして体勢を戻すと……馬の腹を蹴り、この場から逃げ出し始める。


「馬鹿に、するなぁあああああっ!」


 ……だが、破壊と殺戮の神の化身たるこの俺が、指の太さと同じ程度の紐如きでどうにかなる筈もない。

 眼前から獲物を奪われ頭に血が上った俺は、そう怒鳴りながらも激情に任せて両腕に力を込め、五重に絡まっていた紐をあっさりと引き千切る。

 直後、その2秒ちょっとの間で既に10メートル近くも離れていた二人に向け……俺は激情が赴くまま足に渾身の力を込め、跳びかかる。


「逃がすかぁっ!」


 彼女たちとの距離である10メートルと言うのは、走り幅跳びの世界記録ですら不可能な距離だったというのに、その時の俺は「届かない」とか「無理だ」とかすら思わなかった。

 ただ賞品を奪われそうになった苛立ちから、俺は渾身の力を込めて大地を蹴ると、10メートルの距離を難なく詰めてセレスに飛びつき……その身体を騎上の戦巫女からただ必死にもぎ取ると、俺はそのまま地面に落下する。


 ──ドンッ!


 かなり無理をして跳んだ所為だろう……そんな凄まじい音と共に、俺は受け身すら取ることも叶わず、無防備に地面へと叩き付けられる。

 顔面を大地にぶつけた衝撃に視界が歪み、身体中に痺れたような感覚が走っている。


 ──だけど……奪えた。


 俺が自由に出来る、俺のモノになったあの戦巫女セレスの身体が、今、この俺の腕の中にあって……

 俺の両手には確かに、彼女の柔らかさと温かさが感じられている。

 ……その彼女はもう観念したのか、抵抗することもなく、身体中から一切の力を抜いて、俺の腕に抱かれるままになっていた。


 ──その美しい顔で、自由に未練でもあるのか、俺でもエリーゼでもない空の彼方を眺めながら。

 ──その光のない瞳で、あらぬ方向を見ながら。


「……え?」


 その美しかった顔は……首に力が入らないのか、ぶらんとあり得ない角度で曲がっていて、その均整のとれた身体は未だに美しいまま、だけどあるべきという、とても現実とは思えないその光景に……俺は呼気を漏らすことしか出来なかった。


 ──ああ。


 さっきから腕に触っている……ようやく痺れが取れてきた腕に触れているぬるっとしたこの感触は、彼女の小腸か大腸か何かで。

 転がった際に俺の身体中を濡らしているこの液体は、彼女の腹から未だに噴き出ている赤い血だったのか。


「ねぇさま!

 ねぇさまがっ! 

 姉さまがぁあああああああああああああっ!」


 俺がもぎ取った残り半分……骨盤から下を抱きしめながら、この世が終わったかのようなエリーゼの悲鳴を、俺は何処か遠くで聞いていた。

 そうして……俺は上半分だけになった戦巫女の身体を数度揺らし、ようやく何が起こったのかを理解してしまう。


 ──嘘、だ。


 状況から察するに……感情的になって加減を忘れた俺の膂力と、細腕ながら力に特化していた戦巫女エリーゼの膂力をもってセレス=ミシディアの身体を結果……


 俺たち二人の力は、彼女の身体を引きちぎってしまった、らしい。


 たまたま俺の斬撃で、彼女の脇腹に切り傷が微かに入っていたことも……もしかしたら、こうなった原因、かもしれない。


「……嘘、だろう?」


 そうして現在の状況がどういうことなのかは理解しつつも、目の前の惨状がに理解が追いつかない俺は、思わずそう呟いていた。


 ──だって、あんなにも強かったじゃないか。

 ──だって、俺がどんなに攻撃しても、華麗に避けたじゃないか。

 ──だって、さっきまで彼女は……


「うぉああああああああああああああああああああああああっっっ!」


 眼前の光景が、腕の中にある力ない彼女の身体が、そして腕を濡らし続けている彼女の血が……それらが意味している「彼女の死」をようやく理解した俺は、未だぬくもりの残るセレスの半身を抱きしめながら、湧き上がる感情に抗うことも出来ず、ただ意味すらない叫びを放っていた。


 ──好敵手を失った空しさ。

 ──行き場を失った性欲。

 ──顔見知りを失った哀しみ。

 ──恋とも言うべき望みを永遠に失った絶望。

 ──世界が思い通りにならない怒り。


 様々な感情が次々と押し寄せて、喜怒哀楽では表しようのない何処かへ向けることも出来ない激情の嵐に、ただ口が開き……知らず知らずの内に叫びのような音が噴き出していた、という方が正しいのだろう。

 そんな俺の、感情に任せた抱擁の所為でセレスの亡骸のあばらは砕け、残っていた肺と心臓がボトボトとこぼれ出てきて、それがまだ温かく……

 だからこそ、俺は彼女が死んだことが未だに信じられない。

 ……いや、信じたくない。


「貴様がっ!

 貴様が姉さまをっ!」


 そうして未だ現実を受け入れられず、ただ茫然と大地に膝をつき亡骸を抱えたままの俺に対し、そんな罵声が投げかけられる。

 その声の主はセレスの妹分……エリーゼという名の、もう一人の戦巫女だった。

 声に力があれば俺を殺せていたかもしれない、そう思えるほどの憎悪と悲しみのこもったその叫びに……セレスが死ぬ原因を招いた彼女の、そんなに、俺の中の感情が向かう先を見つけ、溢れ出す。


「それは、俺の台詞だっ!」


 気付けば俺は、身体の奥底で荒れ狂う激情がという形を取り、向かう先を見つけた……その感覚に従うかのように、腹の底から怒鳴り声を張り上げていた。


「貴様が下らん横やりなど入れなければっ!

 セレスは俺のモノになって、死ぬことなどなかったっ!」


「~~~っ?

 勝手なことをっ!」


 俺の怒鳴り声を耳にしたエリーゼという名の戦巫女は、片手にセレス=ミシディアの半身を、もう片手には手綱を握りしめたまま、俺の声に叫びで答えていた。

 だけど……今の俺は、彼女の主張を聞いてやるような余裕なんてありはしない。


「犯してやる!

 貴様を!

 朝から晩まで、穴という穴をっ!

 その上で四肢を叩き落としっ!

 その眼をくりぬきっ!

 孕ませて達磨にした上で、豚として飼ってやるっっ!」


「~~~っ!

 やれるものならやってみなさいっ!」


 正直な話、ただ感情的に喚き散らすばかりで、自分が一体何を口走っているのかすら理解していなかった。

 ただ、俺の言葉を聞いて、エリーゼは最後に残った理性すら失ったのか、あれだけ大事にしていたセレスの下半身を放り捨てると……腰に吊るしてあった馬上鞭を使って足元に転がっていた神剣を器用に巻き取ったかと思うと、そのまま一直線にこちらへと突撃しようとして……


「って、おい!

 離せっ、お前たち!」


 その明らかに感情に突き動かされている、無謀としか思えない少女の突撃を見咎めたのだろう。

 べリア族の戦士たちが突然、馬上のエリーゼへと飛びついたかと思うと、暴れる彼女を必死に取り押さえ……遠ざかっていく。

 ……俺の脅威を目の当たりにした彼らにしてみれば、残った一人の戦巫女をこんな無駄なことで失いたくはなかったのだろう。


「……っ、逃がすかっ!」


 かかってくる戦巫女を迎え撃つ気で両足を広く構えていた俺は、エリーゼが仲間に連れ去れて行かれるその様子に呆然と立ち尽くしていたものの……10秒ほど経ったところでようやく我に返り、慌てて戦巫女を追おうと前に足を踏み出す。

 ……だけど。


「……あ?

 何だ、こりゃ?」


 怒りに満ちている筈の俺の身体は先ほどとは違い、何故か思うように力が入らず……俺はほんの10歩も歩まぬ内に塩の荒野へと崩れ落ちていた。

 恐らくではあるが、セレスとの戦いで血を流し過ぎたことと、疲れ切っていたこと……そして憎むべき対象が眼前から消えて気が抜けたことが、俺が倒れた原因ではないだろうか。

 そうして塩の荒野に投げ出されてようやく気付いたが、俺の身体はもはや戦斧すら構えることも出来ないほど、消耗し切っているようだった。

 幾ら神の化身として無敵になろうとも、幾ら痛みを忘れるほどの激怒に身を任せようとも……所詮、俺の身体はただの人間でしかない。


「ああっ、やってやるさ!

 貴様らべリア族の全てを打ち壊し、エリーゼ……お前を引きずり出してやるっ!

 べリア族どもっ!

 コイツを匿うなら、貴様らを殺すっ!

 何処に隠れていようとも貴様らの肉の壁を引き裂いて……コイツを引きずり出し犯してやるっ!」


 だから、俺は唯一動く口を使い、激情をただ吐き出す。

 半ば悔し紛れのつもりであり、半ば行き場のない悲しみを紛らわせるつもりでしかないその叫びは、果たしてべリア族に……そして、あの小生意気な小娘に届いたのだろうか?

 少なくとも疲労の所為で顔すら上げられない俺は、彼女たちがどんな表情で俺の叫びを耳にしたのか……それを見ることすらも叶わない。


「破壊と殺戮の神どの、そのお身体では!」


「無理をされないで下さい!」


 戦斧を構えるどころか起き上がることも出来ず、ただ叫び続けている俺を見咎めたのだろう。

 バベルとロトの二人が俺の身体を無理やり引きずって、彼らの拠点へと引きずろうと……俺を憎悪の対象であるべリア族の連中から引き離そうとし始めた。


「殺すっ!

 刺し殺す、突き殺すっ!

 離してくれっ!

 私が姉さまの仇をっ!

 アイツをっ!」


「良いか!

 もし助かりたいのなら、その女を俺に寄こせっ!

 そうすればっ、貴様らの命だけは助けてやるっ!」


 血と臓物と死体が溢れる塩の荒野の中、指一本動かすことの出来ない俺の遠吠えと、そんなエリーゼの悲痛な叫びが木霊する中……もうその場にいる誰一人として武器を取ろうとはしなかった。

 ただサーズ族とべリア族は、お互いに言葉を交わすこともなく自らの拠点へと帰ろうと自然に動き始め……


 そうして、この日発生したサーズ族とべリア族との総力戦は、サーズ族の圧勝という形で終わりを告げたのだった。

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