第四章 第三話 ~ 総力戦 ~
「……これで、よろしいですか?」
「ああ」
俺がこの世界へとたどり着いてから、七度目の太陽が頭上へと昇り始める頃、べリア族の総力とやらを前にした俺は、いつの間にやら副官になったらしきロトの声に、頷いて見せる。
とは言え、彼がそう三度も確認したのも、心理的には無理もないと言えるだろう。
何しろ、ロトがしたことと言えば、荷車を俺の隣に置いただけ、なのだ。
べリア族の総力が迫っているこの状況で、寡兵としか言いようがないサーズ族の軍勢の、最前線に仁王立ちしたこの俺の隣に、ではあるが。
背後に同胞や愛妻を背負っているロトとしてみれば、この俺の指示に従って逆転の一手を見せて欲しかったのだろうが……生憎とこの冗談のような兵力差を覆す策など、俺は持ち得ていない。
「へへっ。
しかし……壮観ですな、こりゃ」
そんな俺の隣ではギデオンの何処か達観した笑みを浮かべながら、そんな感想を口にしていたが……この豪胆な巨漢でさえそうなってしまうほど、この状況は絶望そのものだった。
そもそも、彼らサーズ族の総兵力はここ数日で必死にひっかき集めてようやく150に届かない程度である。
だと言うのに、眼前の盆地を挟んだ前方にいるべリア族は700……という斥候の話は耳にしているが、俺の目にはどう見ても1,000を超えているようにしか思えない。
正直、雑魚共が手にしている武器では傷つかないと分かっている俺でも……あの鋼鉄で出来た津波のような大軍勢が放つ圧力は、正直圧巻の一言だった。
「……落ち着いて、ますね。
勝算はあるんですか?」
「ははっ。
勝たなきゃ死ぬ……それだけだろ?」
引きつった笑みを浮かべながら副官であるロトが、震えた声で俺にそう訊ねてくるものの……俺としては開き直ってそんな暴論を口にせざるを得ない。
実際問題、ここまで絶望的な状況を覆す勝算なんてある筈がないのだ。
戦いを目前に控えるまでは、雑魚を蹴散らして戦巫女を手にするつもりだった俺も、この1,000という数の暴力を前に、そんな気楽な算用は完全に吹っ飛んでしまっている。
それでも俺が逃げないのは……最悪、サーズ族が負けて全滅したしても、戦巫女の神剣で斬られない限り、俺が死ぬことだけはなさそうだと考えているから、である。
「畜生、こんな数を相手にして助かる訳が……」
「……ふん。
今回も敵前逃亡するつもりか?」
「やかましい。
今さら逃げても、この状況じゃ行先なんぞないだろうが!」
つい、という雰囲気で弱音を口にしたギデオンに対し、サーズ族のまとめ役であるバベルは半眼で睨みつけると共に、隻眼の巨漢が軽挙妄動を起こさないようそんな牽制を欠かしていない。
とは言え、ギデオンが返答の代わりにヤケクソのように叫んだその言葉も、それはそれで納得できるものだった。
──そう。
彼らサーズ族にはこの絶望的な戦いを勝って終える以外には、未来なんぞありはしない。
そもそも食糧は今貯蔵してある全てを使い果たしても冬を越せるかどうか分からないほどの瀬戸際であり……数日前のように、べリア族から略奪する以外、彼らが餓死者を出さない策はない。
だが、肝心のべリア族も同じ考えに至ったのか、食料を奪っていったサーズ族を殲滅してこれ以上食料を奪われないように根を断つことこそが、彼らにとっての最善だと信じ切っているらしく……こうして武器を手に押し寄せて来ている最中だった。
かと言って塩の荒野に囲まれている現状では、この戦場から逃げたところで塩漬けの干物となり果てるだけである。
──何しろ、今の居住区にある水場が、彼らの文字通りの生命線。
──他にはもう、水を得る手段なんてないってんだからなぁ。
事実、前に逃げ出したらしいギデオンの一族は塩の荒野を彷徨い歩き、水も食糧もなくした挙句、べリア族の占拠されているだろう彼らの古巣に舞い戻ることしか出来なかったと聞いた。
もし俺たちがサーズ族の拠点を開放していなければ、彼らは全滅覚悟でべリア族の尖兵たちに戦いを挑む他なかっただろう。
そして、廃神殿に逃げ込んだバベルたち一行も、俺が召喚されなければ、ただ干からびて死ぬのを待つか、全滅覚悟でべリア族に戦いを挑むか……どちらにしても明るい未来なんて存在していなかった、に違いない。
つまり、今のサーズ族にとって、この戦いは……
──水がない癖に、背水の陣、ってか。
そうして俺が現実逃避気味に笑えない冗談を胸中でひねくり回していると、べリア族の準備がようやく終わったらしい。
甲高い喇叭の音が響き渡ったかと思うと、1,000を超えようかという大軍勢が一気にゆっくりと前進し始めた。
陣形は……バベルの予想した通りの密集型の方陣。
──ファランクスって言うんだっけか。
種もなければ仕掛けもなく、細々とした策すらもない。
……ただ彼らの防御力と頭数とを最大限に生すための陣形だった。
そんな彼らは、どうやら自分たちの数の優位を過信しているらしく……重装甲のべリア族の兵士たちは、高所を取られると分かっていながらも正面の盆地をまっすぐに突っ込んできている。
全兵力をもって最短距離を突っ切ることで、サーズ族が弄する小細工もろとも数の暴力で圧殺するつもりのようだ。
「では、破壊と殺戮の神さま、バベル殿。
……どうか、ご武運を!」
「……ちっ、気の早い連中だな。
くそったれ共、持ち場へ行くぞ!」
「では、出来る限り暴れるとしよう。
この場は頼んだぞ、戦友よ」
敵の前進を見たサーズ族の兵士たちは、多少の怯みは見せていたものの……ロトが、ギデオンが、バベルがそれぞれ動き始めると同時にそれぞれの部下たちも諾々と持ち場へと戻って行く。
どうやらサーズ族の兵士たちは、本人の意思に関係なく命令に従うよう訓練されているらしい。
──ここまでは計算通り、か。
サーズ族たちの兵士たちが向けてくる縋るような視線を受けた俺は、平然とした様子を装いながら、内心でそう呟いたものの……実のところ、自軍を絶対の勝利へと導く作戦がある訳でもなく、俺が提案したのは「先手は俺に譲れ」というただ一つだけである。
「……敵の数以外は、だけどな」
ここ2日間、考えて考えて考え抜いた俺の頭には、あの軍勢を一方的に薙ぎ払うための策が確かにあった。
素人考えに自信がなかった俺はバベルに相談をし……その策を聞いたサーズ族最強の戦士は、俺の力を最大限に利用できるようにと、横一列になる横陣を敷いてくれている。
バベルが否定しなかった以上、俺の練った素人考えの策とやらは一定の効果が見込めると、そう信じたいのだが……生憎とべリア族が集めてきた頭数は、俺が想定していたよりも遥かに多い。
一介の学生がふと思いついた策なんて、その圧倒的な数だけで押し潰されてもおかしくないのが現実だった。
──まぁ、今更どうしようもない、か。
もう敵軍は動き出していて……この期に及んでしまった以上、俺は自分が練った策が上手くいくことを祈ることしか出来やしない。
ちなみに俺の立つ位置はべリア族が横陣に構えたそのど真ん中の少し前……敵の突撃を正面から受け止めることになる最前線である。
「……そろそろ、だな」
目測で残り300メートルほど……まだまだ矢も届かない距離に入ろうというところで、俺は隣に置いてある荷車を掴むと、その覆いを剥ぎ取る。
そうして覆いの下に隠されていた大量の武器が露わになり……俺はその中から適当に長槍を一本取り出す。
俺は、その取り出した鉄製の槍を握りしめ、大きく振りかぶると……
「喰らい、やがれぇええええっ!」
全力で、敵陣目がけて投げつける。
俺の放った槍は、人間の放つ槍としてはあり得ない速度で尋常ならざる距離を吹っ飛んでいき……ようやく武器を構えようとしていたべリア族の前線にいた3名を一気に串刺しにしてのける。
次の瞬間、べリア族の密集陣形の後方から矢が数本飛んでくるものの、その矢は所詮弓矢の射程である100メートル程度しか飛ばず……俺の遥か手前で大地へと突き刺さっただけに終わっていた。
……届かないハズの距離からの攻撃に脅え慌てた彼らは、自分たちの射程距離すら見誤っているらしい。
いや、通常の矢が射かけられただけならば、彼らはここまで脅え慌てなかったことだろう。
彼らは元々、先手をこちらに譲るつもりで……高所をこちらに取れ、距離を詰めるまで一方的に射られることを承知の上で、まっすぐに盆地を突っ切ってきたのだから。
──あの盾と鎧で防ぎ切るつもりだったんだろうな。
数の優位で押し切り、飛び道具なんかは最前線に立つ重武装の兵士で遮る……そのための重装密集陣形である。
だけど、先ほど俺が放った槍は、彼らが頼みとしていた盾も鎧をも貫通しただけでなく、兵士三人分を一度に貫き屠ってみせる……まさに死神の一撃だった。
べリア族は先ほど一撃を目の当たりにしたことで、自分たちの身を護っている筈の盾がただの紙切れに過ぎないことを理解してしまったのか、亀のようなその進撃はじわじわと速度を落とし始めている。
つまり……俺にとっては連中など、ただの『的』でしかない、と言うことだ。
「まだ、まだっ!」
そして、べリア族にとっては不幸なことに……俺の手元にある武器は槍一本だけではない。
一方的に相手を踏みにじれる優越感に笑みを浮かべた俺は、荷車の中に転がっている数多の武器の中から、今度は手斧を掴み取ると……
「次ぃっ!」
先ほどの槍と同じように全力で放り投げる。
凄まじい勢いで回転しながら吹っ飛んでいったその手斧は、べリア族の誰かに当たった……と思われる。
──まぁ、多分当たっただろ。
──あれだけ密集してりゃ、適当に投げりゃ誰かに当たる。
その事実に気を良くした俺は、敵の足が止まっている今を好機とばかりに、次から次へと武器を手に取り、手当たり次第に放り投げる。
投げる。
投げる。
兎に角、力任せにただ投げる。
狙いなんてろくに定めやしない。
何しろ投げるための武器も、そして当てるべき『的』も、まだまだ大量に残っているのだから。
──んで、この攻撃、成功しようがしまいが、サーズ族は損すらしていない。
──何しろこれらの武器は、てめぇらが捨てていった武器だからなっ!
そうして俺が先日の戦いでべリア族が残していった、所謂「鹵獲武器」を投げれば投げるほど、べリア族の混乱は大きくなり続けていた。
何しろ、俺の眼下では、あれだけ整然としていた陣形はぐちゃぐちゃに崩れ、死体に躓いて転んだ兵士を、他の誰かが踏み殺す……そんな地獄絵図が広がり続けているのだから。
……それも仕方ないのだろう。
バベルの話を聞く限り、彼らの戦術は基本的に『数の暴力で圧殺する』というワンパターンだったのだから。
──だからこそ、俺の策が決まる。
絶対に信頼できる、確実な必勝パターンを持っていたからこそ、何かしらのイレギュラーによってそれが崩れた時には……酷く脆くなるものだ。
事実、人間という生き物は自分が不利になった時、「今まで勝ち続けていた」という実績につい縋ってしまう習性があり……唯一の必勝パターンが崩れた今、彼らにはもはや縋るモノがない。
そして、縋るモノがない人間は自分でものを考えず、ただ右往左往するばかりの案山子となり果てる、と何かの漫画で読んだような覚えがある。
「かかかっ」
そんな俺の記憶の通り、先ほどまで自信満々に進行してきたべリア族が混乱の極みに陥り崩壊していく……その様子を眺める俺は笑いながらも、武器を投げる手を休めない。
投げる。
ただ、投げる。
──槍を、手斧を、戦斧を、剣を、棍棒を、曲刀を。
そうしている内に、混乱の極みを通り過ぎたべリア族は、ようやく覚悟を……自分たちの中から犠牲を出す覚悟を決めたのだろう。
俺が5投する間に密集陣形が溶け始め、10投する頃には魚燐……三角形の形に整えられた陣形を取ったかと思うと、全軍が決死の覚悟で俺目掛けて突っ込み始めたのだ。
そして、そんな魚鱗の陣形を最前線で率いているのは、セレスとエリーゼ……馬に乗った二人の戦巫女だった。
「はははっ!
ようやく来やがった!」
そんな美少女二人の勇姿が見られたことに、俺は笑いながらもそう喝采していた。
そうして喜び笑いながらも、新たに武器を手に取ると……その武器を力任せに放り投げる。
今までのようにただ適当に投げるのではなく……先頭の二人に狙いを定め、渾身の力を込めての投擲だった。
「「~~~っ!」」
勿論、戦巫女たちはそう甘くなく、当然のようにセレスは神剣で、エリーゼは槍……もしかすると神槍とか呼ばれているかもしれない忌々しい雰囲気を放つ武器で、俺の投げた武器を弾き飛ばしていた。
──やっぱり、防ぐよなぁっ!
──だけどっ!
幾ら俺の投げた武器を弾き飛ばしたとは言え、俺の渾身の一撃に狙われた以上、彼女たちはどう頑張ってもああして弾き返すのが精いっぱいで……その衝撃によって体勢はどうしても崩れてしまう。
体勢が崩れた以上、彼女たちの突進は衰えてしまい……そして、最前線で軍を先導する彼女たちの進撃が衰えることは、必然的に全軍の歩みを遅らせる結果となる。
そうしてべリア族の歩みが遅れれば遅れるほど、俺が武器を投げる暇が増え、その分犠牲者が増える、という寸法である。
ついでに言うと、戦巫女が神剣・神槍を使って弾き飛ばし、逸らした俺の放った武器たちは、3つに2つは彼女たちの周辺にいたべリア族の兵士に直撃し……次々と肉塊を作り上げていた。
何しろべリア族はうじゃうじゃと群れてこちらへと向かっているのだから、多少角度を逸らしたところで誰かに当たってしまうのは当然の結果だろう。
「はははっ!
足を止めると、死ぬぞぉっ!」
そうして身を護った結果、誰かが死ぬ……そんな彼女たちの怯みを狙い、俺はまたしても武器を投げつけるものの……当然のように彼女たちには防がれる。
だけど、遮蔽物もない盆地のど真ん中を彼らが進軍して来ている以上……俺の投擲を防ぐ術などある筈もなく、彼女たちは仲間が一方的に死んでいく様を、延々と目の当たりにし続けた。
……いや、それどころか、彼女たち戦巫女が俺の攻撃を防ぐ度に次から次へと人が死んでいく……つまり、セレスとエリーゼは己の身を護るために周りを犠牲にし続ける形になるのだ。
当然ながら、仲間が次々死んでいくのに頼みの綱が自分たちを助けてくれないのを目の当たりにしたべリア族は完全に浮足立ってしまい、徐々にその進撃速度は衰え始めていた。
その隙を狙い、俺はまたしても武器を投げ、そして防がれる。
……投げ、防がれる。
そうして彼女たちは頑張っているものの……弾き逸らした武器は後方の哀れな誰かに当たり、その結果として人が斃れる。
それでも……
「ははははははっ。
まだ突っ込んできやがるっ!」
それでも、俺が笑う通り……戦巫女の率いる軍勢は止まろうとはしなかった。
犠牲を出しながら、死者の上を踏み越えながら……徐々に俺の方へと迫って来る。
そこへ……おおよそ120メートルほどへと近づいた彼らべリア族の頭上へと、俺の背後に控えていたロト率いるサーズ族の弓兵が、一斉に矢を放つ。
もはや陣形を保つことで精いっぱいだったべリア族は、その一斉射を受けてついに怯んでのか、足が止まってしまったのが見て取れた。
……だけど。
──彼らにはもう前に進むしか道がない。
何しろこの場は遮蔽物のない盆地であり、逃げる場所すらなく……そして、頼みの綱の戦巫女は俺目掛けて突っ込んできているのだから、彼らはただ半狂乱で戦巫女のケツを追いかけることしか出来なくなっていた。
そんな中、矢を受け倒れた兵士が、その兵士に躓いて転んでしまった哀れな別の兵士が、後方から必死に迫ってくる狂乱中の男たちに蹴られ踏まれ……内臓破裂か頸骨骨折か脳挫傷のどれかによって死を迎える。
それでも……彼らの突進は止まらない。
「破壊と殺戮の神ンディアナガルっ!
覚悟しろぉっ!」
そんな血で血を洗うような無茶苦茶な突撃をべリア族が必死に続けた結果。
突撃の先陣を切っていたエリーゼ……俺にはあまり興味のないまだ幼さの残る小娘が、馬があと数歩ほど踏み込めば俺にその槍が届く、そんな距離まで近づいてきたのだった。
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